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それに俺には、もっと大事な用がある イギリス情報部MI6の諜報員ジェームズ・ボンドの活躍を描いたスパイアクション作品。 映画007シリーズの第24作目。 本作には、ボンドの自宅でのシーンがある。映画007シリーズでボンドの自宅が登場するのは本作で3度目であり、1度目は「ドクター・ノオ」、2度目は「死ぬのは奴らだ」でボンドの自宅が映し出された。 本作での自宅は前2作に比べると随分と質素、しかも生活感のない殺風景な自宅であり、来訪者に「ここ新しい?(引っ越したばかり?)」と言われてしまう有様。だが、歴代ボンドの中で圧倒的にストイックなクレイグ・ボンドらしい自宅だと言えるだろう。ただ、物件としては趣があり、また、良く見るとアーティスティックな写真パネルが数枚あったりするので、ボンドらしさは存在しているようだ。 メキシコシティで死者の日の催しが行われている最中、ボンドはビルの屋上から、ある男を暗殺しようとしていた。ボンドが暗殺場所と決めた部屋にターゲットの男が到着する。だが、到着してすぐにターゲットの男と部屋にいた男との会話が始まり、ボンドは盗聴器からイヤホンに伝わる、その会話に耳を傾ける。会話によると今日の午後6時にスタジアムの爆破計画があるらしい。また、爆破が成功して脱出した後、青白い王(ペイル・キング)なる人物に会う事になっているらしい。会話が終わり、いよいよ暗殺に取り掛かろうとしたボンドだったが、気付かれてしまい、ターゲットの男に逃げられてしまう。男はヘリコプターで逃走を図るが、ボンドもヘリコプターに乗り込む。そして、激しい格闘の末、飛行中のヘリコプターから男を突き落とし、暗殺を成功させるのだった。ボンドは男を突き落とす前に男の指にはめられていた指輪を抜き取っていた。ヘリコプターを制圧して操縦桿を握り、ひと段落着いたボンドは、指輪に不思議なマークが入っている事を確認した。 本作の監督は、前作「スカイフォール」に引き続きサム・メンデス。これまでも連続して映画007のメガホンを取った監督もいたが、ここ最近では珍しく、前作までに7作連続で監督交代が行われている。そしてイギリス人のメンデスが映画007シリーズに造詣が深いのであろうという事は前作の「スカイフォール」で薄々感じていたが、その事が本作では明白になったと言える。 と言うのも、本作には無口で怪力自慢の悪役、雪山頂上に建つ診療施設、豪華な夜行列車、敵のアジトで受ける客人扱い等、映画007シリーズ過去の作品を彷彿とさせる設定が度々登場するのだ。細かなところでは、車体の色の違いはあるが「ゴールドフィンガー」に登場したのと同じロールスロイスも登場する。 そして何より、ボンドの宿敵ブロフェルド、及び、ブロフェルドが束ねる世界的犯罪組織スペクターを復活させている。ブロフェルドとスペクターが映画007シリーズに登場しなくなって久しいが、シリーズ初期に数作に渡ってボンドが戦っていたのがスペクターなので、ボンドの敵として真っ先に思い浮かべるのはブロフェルドが率いるスペクターだという人も多い筈である。 このように、昔ながらのファンをニヤリとさせる要素が数々存在している本作。そもそも映画007シリーズはボンドガールやボンドカー、「ボンド、ジェームズ・ボンド」といった台詞等、いくつかの決まり事があり、代々、受け継がれてきた。つまり、キャストの変更こそあるが、アイデンティティーに関する意識が高いのが映画007シリーズの特徴の1つなので、本作のような試みは殊更、ファンは喜ぶのではないかと思う。 ただ、そういう事だと、昔ながらのファンだけしか相手にしていないという事になりかねない。しかし、工夫を凝らした約4分間の長回しのシーンに始まり、すぐさま臨場感たっぷりの手に汗握るアクションシーンへと続くオープニングのシークエンスには、誰もが心を奪われるのではないだろうか。 そして、後に続くストーリーはラストに至るまでスリリングであり、要所のアクションシーンはどれもハイレベルなので、仮に007初心者だとしても存分に楽しめる作品なのではないかと思う。それどころか、過去作品の要素が贅沢に詰め込まれているという事を考えると、本作は007初心者向けの作品だとも言える。 但し、「カジノ・ロワイヤル」から本作までは一貫性があるので、「カジノ・ロワイヤル」から順を追って作品を観た方が本作への理解は深まる筈。また、「カジノ・ロワイヤル」や「慰めの報酬」を観ている人は本作を観た方が絶対に良い。「カジノ・ロワイヤル」「慰めの報酬」で残った疑問が本作で解決される事となる。 前述した映画007シリーズのアイデンティティーの1つ、ボンドカー。従来、ボンドカーは市販車にカスタムを施してボンドカーに仕立てるのだが、本作では違う。最初からボンドカーとして製作され、その上、市販される事はないだ。何とも太っ腹なアストンマーティン。ただ、これまでアストンマーティンは、かなりの恩恵を007から賜ってきたのだろうから、その恩返しといったところだろうか。 そのスペシャルなボンドカー、DB10が007らしさを交えながらカーチェイスを繰り広げるシーンも注目ポイントとなる。絶大な性能を見せつつも気品に満ちたDB10は、琥珀色に染まる石畳の古都ローマの夜に良く映える。そして、DB10が右ハンドルである事がアストンマーティンの、あるいはイギリスのプライドを誇示しているようで、ちょっと嬉しい。 だが、右ハンドルには解せない面もある。ボンドが所属するMI6は海外の諜報活動をする機関であり、イギリス国内はMI5の縄張り。従って、DB10は海外での使用を目的に製作された訳だが、周知のとおり、車は右側通行と定めている国の方が圧倒的に多い。ならば、DB10は、どこの国で使用する為に製作されたのだろうか。ただ、こういった疑問を考えたり、議論したりする事も007の楽しみ方の1つだと言えるだろう。 前作「スカイフォール」で新たなレギュラーキャラクターが加わり、新体制となった映画007シリーズ。その影響は少なからずあり、今まででは感じられなかったチームプレーを感じるようになった。実際には、これまでもチームプレーはあったのだが、ボンドと行動を共にしたのは、ボンドガール等、言わば、ゲストキャラクター。一方、レギュラーキャラクターは概ねMI6のオフィスにいて、それ故に限られたシチュエーションでしか登場する事もボンドと接する事もなかった。 しかし、レギュラーキャラクターが一新するとレギュラーキャラクターの行動範囲が広くなり、ボンドに接する機会も増え、以前に比べて格段にストーリーの中心に絡むようになった。もっとも、いくらボンドがスーパーエージェントだったとしても、しっかりとしたバックアップがなければ、過酷な任務は成功しない筈。そう考えると、チームプレーを取り入れた事は、映画007シリーズのリアリティー路線を更に向上させたと言える。 ただ、すでにチームプレーのスパイアクションは存在しており、それは、ご存知、ミッション:インポッシブルシリーズだ。だから、映画007シリーズはミッション:インポッシブルシリーズを模倣したという意地悪な見解を示す事も出来る。 だが、そうとは必ずしも限らない。イアン・フレミングの原作小説において、映画のようなチームプレーの域まで達していないものの、ボンドとMI6の同僚との間には、それなりに密な関係性が築かれている。なので、アレンジは加わえたものの、原作小説の設定を尊重したという解釈が出来ない訳ではない。 一方で、ミッション:インポッシブルシリーズにも、映画007シリーズの影響が伺える。原作のテレビシリーズ「スパイ大作戦」はワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンなチームプレーであったが、ミッション:インポッシブルシリーズの場合、主人公イーサン・ハントの活躍を盛り立てる為のチームプレーのように映る。そして、大スター、トム・クルーズの眩い輝きは、いかにもボンド的に感じる。私は、映画007シリーズがリブートに踏み切った原因の1つに、ミッション:インポッシブルシリーズがあったのではないかと個人的には考えている。 話が脱線してしまったが、いずれにせよ映画007シリーズとミッション:インポッシブルシリーズ、切磋琢磨しながら、素晴らしい作品を提供してくれればと願う。1つ注文をつけるとしたら、タイプキャストの弊害を吹き飛ばしてライフワークのようにハントを演じ、いつまでも若さを維持して過激なアクションに貪欲に挑むトム・クルーズを映画007シリーズは大いに参考にしてもらいたいと思う。 そのミッション:インポッシブルシリーズに出演経験のあるレア・セドゥが本作のボンドガール。憂いを帯びた表情のセドゥは異色なボンドガールのようにも感じるのだが、リブートした映画007シリーズのコンセプトに符合したボンドガールであり、当然、クレイグ・ボンドとの相性も良い。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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