自分勝手な映画批評
007/スカイフォール 007/スカイフォール
2012 イギリス/アメリカ 143分
監督/サム・メンデス
出演/ダニエル・クレイグ ハビエル・バルデム ジュディ・デンチ
ジェームズ・ボンド(ダニエル・クレイグ)が銃を構えてアパートの一室に入ると、死体が2体横たわっていて、MI6のエージェント、ロンソン(ビル・バックハースト)が左胸から出血している瀕死の状態で椅子に座っていた。手当をしようとするボンドに無線でM(ジュディ・デンチ)はハードドライブを持ち去った奴を追うように指示した。

親がない子はスパイに向いてる

イギリス情報部MI6の諜報員ジェームズ・ボンドの活躍を描いたスパイアクション作品。 映画007シリーズの第23作目。

本作は軍艦島がロケ地になるとの情報があり、話題になった。映画007シリーズで日本が舞台となるのは1967年公開の第5作「007は二度死ぬ」以来、45年振り2度目。しかし、実際にはロケは行われず、軍艦島をモチーフにして組んだセットで撮影が行われた模様。しかも、そのセットを組んだ舞台も、作中では日本という事にはなっていない。日本人としては少し残念な結果だと言えるだろう。





トルコでテロ組織に潜入しているNATOの諜報員のリストが入っているハードドライブを持ち去った男の車を同じく車で追跡するMI6のボンドとイヴ。男が逃走手段をバイクにしたので、ボンドもバイクに乗り換え、イヴはそのまま車で男を追跡した。ボンドとイヴは下に列車が走る陸橋で挟み撃ちにし、男を追い詰めたのだが、男は陸橋から飛び降りて列車の屋根に乗ってしまった。すぐにボンドも列車の屋根に飛び乗り、イヴは再び車を走らせ2人を追った。イヴは途中までは列車と並走出来たのだが、道が線路から離れ、その上、その道がなくなってしまった為、先回りして列車が見下ろせる高台で自動小銃を構えて待っていた。列車が来て、もちろんイヴは男を撃つつもりなのだが、男はボンドと列車の屋根の上でもみ合って格闘しており、誤ってボンドを撃ってしまうリスクがあった。まもなく列車はトンネルに入ってしまう。狙撃場所を移動する時間はない。この状況下でMは無線でイヴに撃てと命令するのだった。





本作は映画007シリーズ史上初めて、アカデミー賞の監督賞受賞者が監督を務める作品だ。この事は本作の1つのトピックだと言えるのだが、サム・メンデスはイギリス人なので、決して不自然な人事ではない。そして、メンデスはイギリス人であるが故に映画007シリーズに慣れ親しんできたのだろう。本作には、往年の映画007シリーズらしさが散りばめられている。

ただ、そうした事で、せっかく「カジノ・ロワイヤル」でリブートした映画007の新シリーズを若干、元に戻してしまった感がある。しかし、「カジノ・ロワイヤル」から始まるリアリティー路線は、しっかり基本として継承しているので問題にはならない。また、「カジノ・ロワイヤル」からはボンドの内面にフォーカスを当てる事を始めたが、それも受け継がれており、本作では更に至近距離からフォーカスを当てている。この更に踏み込んだ内面描写こそが、メンデスにメガホンを取らせた意図なのだろう。

ちなみにメンデスとダニエル・クレイグは2002年公開の「ロード・トゥ・パーディション」で一緒に仕事をしている。その時のクレイグの役はボンドとは似ても似つかない薄っぺらな悪役だった。そう考えると、クレイグをボンドに抜擢したプロデューサーの目利きが、いかに優れていたのかというのが分かる。

アカデミー賞受賞者はメンデス以外にもう1人本作には招かれており、それは敵役シルヴァを演じるハビエル・バルデムだ。超インテリで不気味なサイコパス、シルヴァを外連味なく演じるバルデムは、やはり見事だと言う他ない。また、シルヴァは、言わばボンドとは兄弟のような関係なので、ボンドと対比するような人物像に仕立てた事は非常に有効だと言える。

どうしてボンドとシルヴァが兄弟のような関係なのかというと、ジュディ・デンチ演じるMが親の役割を果たしているからだ。と言うよりも、デンチ演じるMに母性を感じるからこそ、ボンドとシルヴァが兄弟のように映ると言って良い。

もっとも、Mが親に似た、あるいは親と同等の存在となったのはデンチが演じたからではない。父母の違いはあるにせよ、すでにイアン・フレミングの原作小説の時点で、そのような存在になっているだ。原作小説でボンドは根本的にはMを父のように慕っていたし、一方のMも時として息子であるかのようにボンドに接していた。

ただ、映画007シリーズでMを女性にした事、デンチをキャスティングした事は間違いなく大きな意味があった。程度の差はあるにせよ、多くの男性が罹患しているマザーコンプレックスの要素を持ち込み、ボンドのキャラクターを深く掘り下げる事に貢献した。そして、男性キャストでは絶対に務まらないボンドガールにもなった。前代未聞の事なのだが、本作のボンドガールはデンチで間違いない。そして、このボンドガールこそが本作のハイライトだと言って良い。

但し、デンチが最高齢のボンドガールという訳ではない。本作公開から遡る事、3カ月前、ロンドンオリンピックの開会式で、エリザベス女王がボンドガールになった事は世界中が目撃した事実だ。

前作「慰めの報酬」から4年後に公開された本作。その我々が知らない4年間にボンドは、上記の女王のエスコート以外にも様々な任務を忙しく遂行してきたようだ。と言うのは、「慰めの報酬」は「カジノ・ロワイヤル」の日にちを置かない続編であり、「カジノ・ロワイヤル」の冒頭でクレイグのボンドは殺しのライセンスを待つダブル・オー・エージェントに昇格した訳だから、「慰めの報酬」の時点でも新米ダブル・オー・エージェントであった。しかし、本作ではベテラン扱いされており、ダブル・オー・エージェントからの引退さえも匂わせる始末なのだ。

ダブル・オー・エージェントの任務は過酷を極めるので、おそらく任期は短い。とは言っても、いきなり突き付けられたこの状況に戸惑いを覚える人もいる事だろう。クレイグ・ボンドに魅力を感じ、もっとクレイグ・ボンドを観たいと思っている人なら殊更な筈。但し、時計の針を進めた事は悪い事ばかりではない。ベテランになったせいでクレイグ・ボンドにも、歴代のボンドに備わっていた大人の余裕が垣間見れるようになった。

そして、若いキャラクターを登場させるスペースを与える事にもなった。本作から往年の名物キャラクター、Qとマニーペニーが加わったのだが、Qもマニーペニーもボンドよりも随分と年下の設定になっているだ。但し、変わったのは年齢だけではない。年齢以外も従来の設定を破棄し、再構築されている。Qは、いかにもオタクといった風情の青年だし、マニーペニーは現場任務もこなすアクティブな女性になっている。

という事はQもマニーペニーも名ばかりだという事になってしまうのだが、現代的にアレンジ、アジャストされ、しっかりキャラクター造詣もされているので、余程の懐古主義でない限り、容易に受け入れられる筈だ。

1つの時代が終わり、新たな時代が幕開けする本作。なので、映画007シリーズを通じて重要な位置を占める作品だと言える。



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