|
||||||||||||
信頼? すたれた言葉だ 映画007シリーズの第17作目。ピアース・ブロスナンが5代目ジェームズ・ボンドとして初登場する作品である。 本作の作品タイトルである「ゴールデンアイ」とは、原作小説007シリーズの生みの親、イアン・フレミングが執筆活動をしていたジャマイカの別荘の名称である。但し本作は、その別荘とは一切無関係な作品であり、ジャマイカさえも登場しない。 ソ連の化学兵器工場で同僚の006、アレックを失ってから9年後、山中のワインディングロードでアストンマーチン・DB5を運転するジェームズ・ボンドは、フェラーリ・F355に乗った女性とカーバトルを興じていた。アストンマーチンに同乗する女性の嘆願によりバトルを終わらせたボンドだったが、到着したモンテカルロのカジノでフェラーリの女性と再会するのだった。その女性が気になったボンドは、MI6に身元の調査を指示する。その女性、ゼニア・オナトップは、旧ソ連の戦闘機パイロットで犯罪組織ヤヌスの一員と思われる人物だった。ゼニアをマークするボンド。しかし翌日、そんなボンドを尻目にゼニアは、ステルスヘリコプター、タイガーのデモ飛行が行なわれる式典で、こともあろうに観衆の目の前でタイガーを奪い去って行った。 それまでの007シリーズでは最長、5年間ものインターバルを空けて製作されたのが本作である。5年の理由は諸々とあるようだが、理由はどうあれ結果として出来上がった作品は、ある程度前作までのイメージを一新するカタチになっている。 目に見える前作からの最大の変更はボンド役の交代だ。但し、今回でボンド交代は5回目。前任のティモシー・ダルトンが2作品だけという短期間だった事を除けば、交代劇自体は、それほど驚きを覚える事件ではないだろう。 ただ、ブロスナンは、スケジュールの都合で実現には至らなかったのだが、前任ダルトンが初めてボンドを演じた前々作「リビング・デイライツ」の時点でボンド役のオファーをされていたというので、満を持してのボンド襲名と言えるだろう。ちなみにダルトンも、ボンド就任以前にボンド役のオファーを断っている。 当時のブロスナンは、少なくとも日本では、日本でも放映されたいたアメリカのテレビドラマ「探偵レミントン・スティール」に出演していた俳優としての認知だったと思う。なのでボンド役に抜擢された際には「探偵レミントン・スティールでお馴染みのピアース・ブロスナン」といったような紹介のされ方をしていた思う。 余談だが、この様相は「ダイ・ハード」に抜擢時のブルース・ウィリスに似ていると当時、個人的には感じていた。ウィリスも「ダイ・ハード」でブレイクする以前は、日本でも放映されたいたアメリカのテレビドラマ「こちらブルームーン探偵社」に出演している俳優としての認知であり、「ダイ・ハード」公開時は「こちらブルームーン探偵社のブルース・ウィリス」と紹介されていたと記憶している。 そして、実質的にボンドの交代以上に重要なのは、ボンドのMI6の上司であるMが、今までの男性キャストから女性キャストに変更した事ではないかと思う。トップに女性を据えるのは、女性君主国であり、いち早く先進国では女性首相を誕生させたイギリスらしい設定の妙だと感心させられたものだ。 但し、感心させられたのは設定の妙ばかりではない。それ以上に唸らされるのはジュディ・デンチをM役にキャスティングした事である。もちろん、役柄と照らし合わせた上でのデンチの起用だと思う。ただ、私が主張したいのは、いささか低俗な見解だが、本作以降のデンチのキャリアが007にもたらした好影響である。 デンチは本作以降、何度もアカデミー賞にノミネートされ、オスカーも手にしている。初代ボンドのショーン・コネリーもオスカーを手にしているが、それはボンドを引退して15年も後の事。現役のレギュラーキャストがオスカーを手にし、オスカー候補の常連である事実は、安易かもしれないが、随分と007シリーズに箔を付けたように感じる。 そして、その事は「ワールド・イズ・ノット・イナフ」のソフィー・マルソーや「ダイ・アナザー・デイ」のハル・ベリー等といった今までにないビッグネームの当然のごとくの出演に繋がっているのではないかと思うし、ひいては次のボンド役のキャスティング選考も含め、本作より11年後に訪れる「カジノ・ロワイヤル」での大きなモデルチェンジの壮大な伏線になっているようにも感じる。 さて、肝心の本作の内容だが、前作でのストイックな展開を踏襲しつつ、随所に従来の007テイストが感じられる仕上がりとなっている。 特に007テイストを感じるのは、戦車を用いての市街地でのチェイスシーンだ。この荒唐無稽なシーンこそ007が築き上げてきた醍醐味だろう。但し、単に馬鹿騒ぎをしている訳ではない。よく見ると、緻密な計算に基づいてシーンを成立させている。その事で荒唐無稽が払拭される訳ではない。しかし、最低限のリアリティーは確保しようとする向きは感じられる。 その事を踏まえつつ感慨深いのは、秘密基地の描写である。今となっては古さを感じてしまうのだが、それでも第1作目の「ドクター・ノオ」で登場した秘密基地とのクオリティーの違いは一目瞭然。もちろん、クオリティーの違いは時の経過と比例すると解釈して然るべきなのだが、だからこそ、その成熟度には感激が込み上げる。 また、タイアップ色が強いのも本作(本作以降)の特徴ではないかと思う。それまでもメーカーによるタイアップは行なわれてきたのだろうが、本作(本作以降)では裏側のビジネス的な思惑が顕著に伺える。 それは時代の流れだと言えるだろう。そして何より、魅力的に映し出されているので何ら問題はなく、批判するつもりは毛頭ない。ただ、そんな中、往年のボンドカー、アストンマーチン・DB5を登場させたのは、どこか反骨精神に似たような、ボンドイズムの気概であるように感じる。 私個人としては満足な見応えを感じたのだが、世間的には評価があまり芳しくなかった前任者ダルトンの007シリーズ。その経験からか、更なるスケールアップを施しつつも、今までの007の美味しいところをミックスして挑んだ本作。それは集大成のような様相も呈しているのだが、奇しくも本作を基盤とした本作から始まるニューシリーズが、既存の007シリーズの最終章となった。 |
>>HOME >>閉じる |
|||||||||||
★前田有一の超映画批評★ |
||||||||||||