|
||||||||||||
義理とは堪え難いほどの重み ヤクザな世界を通じて、日米の男の友情を描いた作品。 何とも強烈な作品タイトルだ。原題と邦題は同一。このネーミングの意図するところは、作品内容のシンボリックな表現だったのだろう。それならば、過ぎる程にシンプルでストレートな作品タイトルに納得出来る。何より海外では分かりやすい筈である。 だが、このネーミングの日本での効力には疑問を覚える。本来なら存在しない冠詞を付けて究極の意味を持たせた日本語は、その字面とは裏腹に却って安っぽい印象を与えているように感じるだ。しかも本作は海外作品。その露骨な表記からはゲテモノ色の懸念も抱かせる。もしかすると邦題を見て敬遠してしまう人もいるのではないかとさえ思う。 だが、蓋を開けてみればズッシリとした重みがある、実に豊かなストーリーが広がっている。そして、冠詩が意味するとおり、ある種の究極が描かれている。 アメリカの実業家のタナーは、日本のヤクザ組織の東野組との取り引きでトラブルを発生させてしまい、代償として娘のルイーズを東野組に誘拐されてしまった。東野組は加藤という使者をアメリカのタナーの元に送り、タナーに4日以内に日本へ来るようにと迫る。ヤクザ絡みなので警察には通報出来ない。そこでタナーは、親友であるハリーに助けを求めた。ハリーは第二次大戦後の日本にMPとして駐留していた時のタナーの同僚。その駐留時にハリーは、ヤクザの大物である田中健と親交があった。つまりタナーの本意は、ハリーに今回の事態の収束を田中に頼んで欲しいというものだった。タナーの頼みを聞き入れ、来日するハリー。実はハリーには、日本に忘れられない想いがあった。それは田中を知るきっかけとなった、田中の妹・英子に対する想い。英子はハリーのかつての恋人だったのだ。 本作は、ハリウッド映画でありながらも大半の舞台を日本とした作品である。これだけでも日本人としては心が弾むのだが、更に凄い事に本作は、名優ロバート・ミッチャムが出演し、監督は後に「愛と哀しみの果て」でアカデミー賞監督賞を受賞するシドニー・ポラック、脚本は後に「タクシードライバー」の脚本家となるポール・シュレイダーと「チャイナタウン」でアカデミー賞脚本賞を受賞するロバート・タウンという実に贅沢な作品なのである。 どうしても気になるのは日本に関する描写だ。得てして海外の作品は、あまりにも現実と掛け離れた日本を描く作品が多い。だが本作は、海外の日本を描いた作品の中では満足度が高い作品だと言えると思う。それは、日本に精通している前述のポールと、その兄のレナードのシュレイダー兄弟が携わり、また、日本人スタッフも多く関わっているからだろう。 但し、あくまでも海外の作品としてはというエクスキューズは付く。ツッコミどころがない訳ではない。だが、その点には理解を示しても良いのではないかと思う。異文化な異国を描くのだから、多少の不具合が出るのは仕方がない。不可解な描写に首を傾げるよりも、日本を真摯に描こうとする本作の姿勢に視線を向けるべきだと思う。 アメリカ人が日本に渡来して展開されるストーリーは、文化や風習、観念といった日米の国柄の違いが大きなポイントとなっている。そこまでなら、よくある話だ。だが、本作は少し様相が異なる。本作は国柄の違いを日本をリスペクトする手段として用いているのである。これは、日本人としては嬉しい事だ。もちろん、ヤクザな世界をリスペクトしている訳ではない。リスペクトの対象は、仁義な心である。 以前、外国人の意見で、日本は海外から評価されて、はじめて自国の良さに気付く不思議な国民性だというのを聞いた事がある。確かに他者から評価されて自信になるメカニズムは理解出来るので、そのプロセスは納得出来る。だが、もっと能動的に自国の良さに誇りを持って良いのではないかと思う。無論、他国との優劣が自信の根拠にはならないし、客観性を持たずに必要以上に美化してはならないのだが。 本作には、もう1つ嬉しい事がある。それは高倉健が圧倒的な存在感を見せつけている点だ。ハリウッド映画でも日本映画そのままの高倉であるのは流石。恥ずかしながら前述した海外のフィルター越しにはなってしまうのだが、本作を観れば高倉が、決して大袈裟ではなく日本の宝であると実感させられる。 ハイライトは殺陣のシーンであるだろう。血なまぐさくありつつも日本の様式美さえ感じてしまう、このシーンには感服である。 丁度、本作公開当時は、1973年に公開された「燃えよドラゴン」によって、ブルース・リーの斬新なアクションが世界に衝撃を与えていた頃。かなり深読みした見解だが、本作の殺陣のシーンは「燃えよドラゴン」での成功を目の当たりにして、新しいアクションを世界に紹介しようとした目論みが感じられなくもない。それ位、強い熱意と意気込みが感じ取れる、至極の名シーンである。 本作の影響を幾分か感じさせる「キル・ビル vol.1」や、内容こそ違えど本作と同じような成り立ちの「ブラック・レイン」と見比べるのも有意義ではないかと思う。 |
>>HOME >>閉じる |
|||||||||||
★前田有一の超映画批評★ |
||||||||||||