自分勝手な映画批評
チェイシング/追跡 チェイシング/追跡
2009 アメリカ 101分
監督/ジョン・ポルソン
出演/ジョン・フォスター ソフィー・トラウブ ラッセル・クロウ
スーパーマーケットの事務所でローリ(ソフィー・トラウブ)は男性店員に胸を見せた。その見返りにローリは商品のCDを盗んで行った。

でも何も… 何一つ変わらない

原作はロバート・コーミアの小説「心やさしく」。少年院から出所した青年と、その青年につきまとう少女、そして青年を追う刑事の動向を描いた作品。

本作は日本では劇場未公開の作品らしい。ラッセル・クロウ程の大物スター俳優が出演する映画で日本で劇場公開しないというのは(駆け出しの頃ならまだしも)珍しいのではないかと思う。

どういった理由、あるいは経緯で日本で劇場未公開になったのか、その真意は私には分からない。だが、作品の規模や内容を考えれば理解出来ない訳でもない。クロウがこういった作品に出演する事は、本当の理由は分からないので安易ではあるのだが、クロウの役者魂を感じ取れるようで好感が持てる。





母と一緒に暮らしているローリは、母の意向で母の恋人ゲイリーとも同居する事になった。その事を受け入れるローリではあるのだが、ゲイリーに対してあまり良い感情を持ってはいなかった。三人で暮らし始めたある夜、テレビから流れるニュースにローリは注目した。それは15歳で両親を殺したエリック・コメンコが今週金曜日に少年院を出所するとのニュースだった。大罪を犯したエリックなのだが血中から多量の抗うつ剤が検出された為に情状酌量となり、一般刑事裁判を免れて少年院送りとなっていた。エリックは今週金曜日に18歳になるので少年院を出所するのだった。一方、エリック出所の知らせを受け、クリストフオロ警部補は少年院のエリックの元を訪ねていた。クリストフオロはエリックの出所を懸念していた





日々進歩し進化する世の中。その恩恵で生活は便利になり、豊かになった。しかし一方で、進歩・進化の副作用で思いも寄らない事態も発生している。そして、その対処法が見つけられないままでいる。「昔じゃ、あり得ないぞ」。これは劇中に登場する台詞。そうぼやきたくなるのも無理はない。

新たな問題が生じたならば新しいルールを決めれば良い。ルールを犯した者には厳重な罰則を与えれば良い。しかし、それでは根本の解決にはならない。悪事が増えればルールが増える。それはまさしく愚かないたちごっこであるだろう。モラルがなくなるからルールが出来る。そうとは一概には言えないのだが、そういった一面もあるだろう。とするならば、ルールが出来る事、増える事は人類にとって恥ずべき事ではないかと思う。

進歩や進化を止めるべきではない。しかし、そこで同時に誕生する負の産物にも、同じく進歩や進化を持った対応を敏速に行なわなければならない。これは子供ではなく大人の役目、大人の責任なのである。「昔じゃ、あり得ないぞ」などと長閑に嘆いている場合ではない。

ジェームズ・ディーンの「理由なき反抗」のような類いの作品を辛辣な現代に置き換えれば本作のようになるのではないかと、ふと思ったりする。「理由なき反抗」が手緩い作品だと言うつもりはない。ただ、その当時に比べて現代が過激な世の中になっているのは間違いない。

ある意味映画とは時代を映す鏡であり、時代の証人である。なので時代が過ぎれば描かれている事柄に鮮度がなくなってしまう事は往々としてある。しかし、だからといってショッキングな本作を何十年後、十何年後かに観た時に、風化されて何も感じなくなっているようでは困る。これ以上エスカレートした世の中にしない為にも、今ある現実の上っ面だけではなく、深層にある真実を直視する必要があるのだと思う。

ジョン・フォスターとソフィー・トラウブが闇を抱えたエキセントリックな役柄を素晴らしく演じている。迎え撃つクロウの抑えた演技も良く、三人の表現力が憂いある物語を立体化させ、より身近に感じさせる。


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