|
||||||||||||
口が大きすぎると思わない? 原作はイアン・フレミングの小説「ロシアから愛をこめて」。映画007シリーズの第二弾となる作品。 本作も前作「ドクター・ノオ」同様、1972年の日本でのリバイバル公開時に日本語の作品タイトルが変更され、原題に則した「ロシアより愛をこめて」に改められている。1964年の日本初公開時の作品タイトルは「007/危機一発」。命名したのは、当時、本作配給元のユナイト映画に勤務していた、後の映画評論家で「いやぁ、映画って本当にいいもんですね」の名調子で有名だった水野晴郎である。 言うまでもなく「危機一発」なんて言葉はなく、本当ならば「危機一髪」でなければならない。しかし、それを承知で作品内容を賞味した上、洒落心を交えて、あえて誤用(造語)を使ってみせる表現力のセンス。そんな水野のセンスに驚嘆させられる。 水野は他にも日本語の名タイトルを誕生させているようだ。また、水野以外の手によるものでも、ハッとするような日本語の名タイトルは多く存在している。つまり、日本独自の作品タイトルという短いセンテンスの中には、映画鑑賞の達人たちの英知が詰まっているのである。 映画とは、出されたものを受け取るだけでなく、観る側の感性とインテリジェンスも重要なのだと実感させられる思いである。 国際犯罪組織スペクターは、トルコのイスタンブールのソ連領事館にあるソ連の新型暗号解読機レクターを盗み出す計画を立てた。但し、その計画の遂行にはソ連の在トルコ暗号部の女性部員とイギリス諜報部員の助力が必要だった。つまり計画とは、ソ連の在トルコ暗号部の女性部員とイギリス諜報部員の二人を騙してレクターを盗み出させ、二人の手元からスペクターがレクターを奪い取り、その場で二人を殺して二人の犯行だと見せ掛けるものだった。ただ、この計画には、もうひとつの意味があった。それはドクター・ノオを殺したジェームズ・ボンドへの復讐である。スペクターはソ連の極秘任務だと偽り、イスタンブールのソ連領事館の女性タチアナ・ロマノヴァに計画の実行を了承させ、タチアナに計画のパートナーとしてボンドを指名させた。イギリス諜報部及びボンドは罠ではないかと感じつつ、この計画に乗る事にした。 本作はショーン・コネリーが自ら出演した007映画の中で、最も気に入っているとされる作品であり、ファンの間でも非常に人気が高い作品である。また、本作の原作本が、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが挙げた愛読本リストの中の1冊に入っていた事でも有名である。 原作の優劣はさておき、こと映画に関して言えば本作は、前作「ドクター・ノオ」に比べてスケールアップしているのは明らかである。二重構造で(決して難解ではないのだが)複雑化されたストーリー、ヘリコプター、モーターボートを用いた大掛かりで大迫力のアクションは「ドクター・ノオ」を完全に凌駕していると言えるだろう。また「ドクター・ノオ」では消化不良でチープに感じられる面が極力改善されている事も進歩として感じられる。 更には、主な舞台をイスタンブールにした事も良い効果をもたらしていると思う。「ドクター・ノオ」の舞台はジャマイカだった。別段、それに問題はなく、それはそれで存分に楽しめたのだが、リゾート地であるが故にワイルドな冒険活劇的な色合いが濃くなっていたように感じる。 ジェームズ・ボンドの魅力のひとつに挙げられるのは、ピシっとキマったスーツ姿でのスマートな所作。その魅力を活かせるのは南国リゾートのジャマイカよりも、由緒ある古都イスタンブールであるだろう。 ストーリー展開からイスタンブールを出発し、ちょっとしたロードムービーの様相を呈しているのも良い。その途中、オリエント急行車内でのシークエンスは本作の見どころのひとつである。 物理的な制限がある列車内での様子は手に汗握る緊迫感を覚える。これは007シリーズを通じても印象に残る代表的なシークエンスだと思う。余談だが、後年、ボンド役をリタイアしたショーン・コネリーが「オリエント急行殺人事件」に出演したのは不思議な巡り合わせのように感じる。 列車内以降も見どころは続く。前述したヘリコプター、モーターボートのアクションが、一気に畳み掛けようとせんばかりに手ぐすね引いて待ち構えているのだ。映画が驚くような勢いで進化・進歩しているのは周知の事実だが、この両アクションシークエンスから得られる生々しい臨場感は、進化・進歩の過程で置き去りにされた、古い作品ならではの有り難みであるだろう。 また、後に007シリーズの代名詞となる秘密兵器が初登場するのが本作である。但し、自動車からロケットが飛び出すような目に見えて荒唐無稽な代物ではなく、スパイの小道具の範疇に収まる類いのもの。なので007シリーズとしては物足りなさを感じるのかも知れない。しかし、その事でリアリティーが保持されていると言えるだろう。 本作で大活躍する秘密兵器はアタッシェケースだ。秘密兵器とは、もしもの場合に使用するアイテムという意味合いが含まれるので、ストーリー上で重要な役割を担う可能性が自然と高くなると思うのだが、それでも土壇場で上手い具合に効力を発揮させる演出は最高。何でも、本作の影響でアタッシェケースは大流行したらしい。 そして忘れてならないのがボンドガールだ。知性と色気をまとって大人の風合いを感じさせつつも、可憐さを滲ませるダニエラ・ビアンキが演じるタチアナ・ロマノヴァは、007シリーズ随一のボンドガールとの呼び声が高い。ビアンキの魅力が本作の価値を高めているのは間違いないだろう。 オープニングのタイトルバックも見事である。シンプル・イズ・ベストの極みのような「ドクター・ノオ」のタイトルバックも大変素晴らしかったが、本作では新たな表現方法を手に入れ、更にグレードアップしている。 主題歌の哀愁あるメロディーをバックに、色とりどりに染められたクレジットの文字が、スクリーンに見立てた踊る女体に映し出される。そして、その文字はグラマーなスクリーンのラインに沿って艶かしく歪み続ける。 このロバート・ブラウンジョンが描いた、ちょっと如何わしくも洗練された模様は、007の持つスタイリッシュとエロチックが融合したアダルトなムードを素晴らしく端的に言い表わしている。後世に残る絶品のタイトルバックだと思う。 本作は007シリーズが軌道に乗る直前の作品だと言えるだろう。つまり、本作では007は完成していない。しかし言い換えれば、だからこそ007シリーズが繁栄と共に失った無骨で本格的なスパイアクションが繰り広げられていると言えるだろう。コネリーやファンの評価も納得の秀作である。 ちなみに、ルパン三世には本作と同じ「ロシアより愛をこめて」という作品がテレビスペシャル版に存在し、映画では「バイバイ・リバティー・危機一発!」という作品が存在する。両作、少なくともテレビスペシャル版の作品タイトルのネーミングには本作が念頭にあったと考えられる。 そもそも、モンキーパンチの原作からして007をモチーフにしていたルパン三世であるので、007イズムは随所に感じられる。中でも、テレビスペシャル版等で多く見受けられるオープニングのタイトルバック前にアクションシークエンスでひと盛り上がり作るのは、まんま007のスタイルだと言えるだろう。 007の影響を感じつつルパン三世を楽しむのも面白いのではないかと思う。 |
>>HOME >>閉じる |
|||||||||||
★前田有一の超映画批評★ |
||||||||||||