自分勝手な映画批評
落語娘 落語娘
2008 日本 110分
監督/中原俊
出演/ミムラ 津川雅彦 益岡徹 伊藤かずえ
12歳の香須美(藤本七海)は病室で、ガンに侵されて余命幾許もない落語好きの叔父(利重剛)の為に、必死で覚えた落語の演目「影清」を聞かせていた。

三々亭香須美と申します、どうかお見知り置きを

原作は永田俊也の小説。落語界に身を投じた若い女性落語家と、その師匠で異端でグウタラな落語家との交流を描いた作品。

アイデンティティーとは一貫性でもあるだろう。すなわち、古来からのものを継承する事はアイデンティティーの保持だと言えるだろう。伝統とはひれ伏すものだと誰かが言っていたが、確かに私もその通りだと思う。だが一方で、言うまでもなく時は流れている。時の流れと伝統とは、ある意味では相反するものであると言えるだろう。

伝統芸能である落語は、残念ながら現代のメインストリームな娯楽ではないだろう。但し、2005年のテレビドラマ「タイガー&ドラゴン」を起点に幾分かは風向きが変わってきているのではないかと思う。今までまったく見向きもしなかった人が「タイガー&ドラゴン」をきっかけに興味を持ち始めたと聞く。つまり、少なからず注目を浴びるようになった。想像ではあるが、本作や「しゃべれども しゃべれども」などが映画となったのは、その影響ではないかと思う。

このような状況は、あらゆる意味で実に喜ばしい事であるだろう。もっとも私は、そんな偉そうな事が言える立場ではない。恥ずかしながら私には落語の知識はほとんどない。

少女の頃に病床の叔父の為に落語を話したのをきっかけに落語に目覚めた香須美は、高校・大学は落語研究会に籍を置き、勉学にも恋にも目もくれずに落語一筋に喋りの修行に励み続けた。その結果、大学落語コンクールで数々のタイトルを総なめにした香須美は、憧れの師匠、三松家柿江の門を叩いたのだった。しかし、女である事を理由に入門を拒まれてしまう。だが、その場には偶然にも三々亭平佐が居合わせており、その縁で香須美は平佐の弟子になるのだった。ただ、この平佐がクセ者で、他の落語家からは煙たがられる存在。終いには、元々のデタラメがたたって問題を起こし、無期限の謹慎処分を受けてしまう有り様。そんな師匠を持つ香須美は、前座であり女である事も影響し、肩身の狭い日々を過ごしていた。ある日、香須美は大学の後輩で記者をしている清水と再会する。清水は香須美から平佐に関する噂の真相を聞き出そうとするのだが、香須美はダメ師匠の事など関心がなかった。

本作は落語を知らない私にも優しく接してくれる作品である。と言うのも冒頭で落語に関するレクチャーをそれなりにしてくれるからである。そして肝心のストーリーも、もちろん落語界がベースであり、落語の演目もベースになっているのだが、素人でも十分に理解出来る内容である。そして何より、際どく感じるシーンもあるのだが、粋やいなせを根本に感じられる造りは実に気持ちの良いところである。

本作の魅力は俳優の仕事振りも大きく影響している。その筆頭は主人公の香須美を演じるミムラである。芸名も表舞台への登場の仕方も型破りなミムラは、失礼ながら私は一発屋の女優であると思っていた。しかし、間もなくして私の見る目のなさを痛感させられる事となる。

ミムラは演技うんぬん以前に資質が見栄えする女優であると思う。それは誰もが持っている訳ではない、あるいは後々に習得出来る訳ではない天賦のもの。私がミムラから感じるのは洗いたての白い洗濯物のような心地の良い清潔感。但し、単に綺麗なだけではない。他と交わる事のない、どこかユーモラスでユニークな個性が存在しているのである。その魅力は本作でも遺憾なく発揮されている。本作の清々しさはミムラが原因であるだろう。

師匠の三々亭平佐を演じる津川雅彦も良い。私の知る限りの津川は、色々な顔を使い分けて演じる俳優ではない。しかし、どんな役柄でもしっくりくるのが津川の凄いところ。本作でも津川は役柄を自らに引き寄せて命を吹き込み、まるで現存するかのように平佐を実体化させている。その演じっ振りは、やはり見事である。


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