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正しければ勝てるのか? 両親を殺された若者の復讐の旅を描いた西部劇。 本作は、大富豪ハワード・ヒューズをモデルにしたとされるハロルド・ロビンスの小説で、1964年公開で映画化もされた「大いなる野望」の登場人物、ネバダ・スミスの若き日を描いた作品、言わば「大いなる野望」のスピンオフとなる作品らしい。ちなみに、映画「大いなる野望」でネバダ・スミスを演じたのは「シェーン」で有名なアラン・ラッドである。そして「大いなる野望」がラッドの遺作となった。 マックスの両親が3人組の男たちに殺された。男たちはマックスの父親が炭坑で金塊を見つけたと思っており、それを奪いに来たのだが、その目的が果たせなかったので殺したのだった。その3人組にマックスは会っている。父親の古い友人だという3人組に、父親の居場所を教えたのはマックスだったのだ。むごい殺され方をした両親を目の当たりにしたマックスは復讐をする為に、すでにその場を後にした3人組を追う事にした。手掛かりは、3人組が盗んで行った父親の灰色の馬。そして、3人組と会った時に得た情報、3人組の中の1人が首に傷があるジェシーという名前の男だという事だった。 本作を観るにあたり、まずクリアしなければならない問題がある。それはスティーブ・マックィーン演じるマックスの年齢が十代である事。そしてマックスが、白人とネイティブ・アメリカンとの間に生まれた子供である事である。 本作公開時、35歳のマックィーンを十代の若者に見立てるのは無理がある。また、ネイティブ・アメリカンの血が流れているようにも見えない。この設定への疑念を拭えないのならば、その時点でアウトであるだろう。だが、設定を受け入れさえ出来れば、壮大な物語が目の前に広がる事になるだろう。 2時間を超える作品なので、短い作品だとは言えない。だが、時間以上のボリュームを感じる作品であるだろう。本作は、長期間を描いた物語ではないと思うし、復讐劇という、ごく個人的な問題を取り上げた作品であるのだが、叙事詩的、大河ドラマ的なスケールの大きさを感じさせる。 そういった感覚に至るのは、復讐劇を多くの事柄を用いてバラエティー豊かに描いているからである。もう少しだけ具体的に言うと、復讐劇の過程で、非常に多くの人と場面が次々と現れては過ぎ去って行くからである。 そう言うと目まぐるしく、慌ただしい作品のように聞こえるかも知れないが、そんな事は一切ない。逆に、それぞれのシークエンスが、実際には大した時間を割いていないにもかかわらず、しっかりとした印象を残しているのである。そして、それらの確かな積み重ねが重厚なドラマとなり、満足のいく見応えをもたらしている。この演出手腕は見事である。 ことマックィーン出演作品という限定的な観点からみれば、少し異質な作品だと言えるのかも知れない。前述した年齢や血筋だけではなく、復讐劇を通じた成長物語という点もマックィーン作品としては異質だと感じるところである。 熟練した役柄が多いマックィーンだが、本作では冒頭で銃の手ほどきを受けるような有り様の役柄である。だが最終的には、いつものマックィーンを楽しめる。なので本作は、従来とは違うマックィーンと、従来通りのマックィーンという2つの魅力を感じられる贅沢な作品ではないかと思う。 テレビドラマ「拳銃無宿」でブレイクし、「荒野の七人」が代表作の1つであるので、マックィーンに西部劇のイメージを持つ人もいると思うのだが、実際には西部劇への出演は意外と少ない。そういった意味では、実はレアなマックィーンのウエスタン・アクションが収められている貴重な作品だと言えるだろう。 だが、そういった事とは関係なく、別段、マックィーンのファンでなくても、1人の若者のドラマを丹念に描いた物語として、見応えのある作品ではないかと思う。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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