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神は過去を問わない、今、何をするかが大事だ 突如として現れたエイリアンに立ち向かうカウボーイたちの奮闘を描いた作品。 正直なところ、私は本作のようなタイプの作品に関心がない。映画が非現実的な世界に誘ってくれるものだとは重々承知している。だが、どうしても超常現象的なテーマを扱う作品には興味が湧かないのである。 そんな私なのだが、本作は観たいと思った。そう思ったのは、ひとえにダニエル・クレイグとハリソン・フォードの共演、つまり、ジェームズ・ボンドとインディ・ジョーンズが共演するからである。 単に、2大ヒーローの共演だけが私が観たい理由ではない。インディ・ジョーンズシリーズの第1作目「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」は、007シリーズの監督をしたいと思っていたスティーヴン・スピルバーグの元にジョージ・ルーカスが持って来た企画だったという。つまりインディ・ジョーンズというキャラクターの誕生には、多少なりともジェームズ・ボンドの影響があるのではないかと考えられるからである。しかも本作の製作にはスピルバーグも携わっている。 そんな事から、いつもなら個人的な嗜好で素通りしていまいそうな作品なのだが、俄然、興味をそそられる作品となった。 ある男が町を訪れた。男は何故自分の左手には奇妙な腕輪がはめられているのか? 何故自分は右の脇腹を負傷しているのか? それどころか自分の名前、自分が何者かでさえも分からない記憶喪失だった。男は町の、ある家に入り込み、右の脇腹の手当てをしようとした。すると、その家の主人に見つかり銃を突き付けられてしまう。だが、主人は慈悲深い牧師であり、男に危険がないと悟ると男の傷の手当てをしてやるのだった。傷の手当てが終わったその時、その家に銃弾が撃ち込まれた。撃ち込んだのはパーシー。パーシーが面白半分に乱射しているうちの一発が、その家に撃ち込まれたのだった。パーシーは町の実力者ダラーハイドの息子であり、父親の権威を笠に着て、日頃からやりたい放題だった。パーシーは銃を乱射した後、周りにいた町人から金を巻き上げ始めた。何も言えずに従う町人たち。しかし、記憶喪失の男は違った。金を渡すどころか、パーシーを蹴り上げてしまったのだ。怒ったパーシーは威嚇する為に、また銃を発射する。すると保安官補の左腕に命中してしまう。そこに保安官が現れ、パーシーは勾留されてしまった。パーシーを勾留した保安官は保安官事務所で、ある手配書に目をやる。それは凶悪犯ジェイク・ロネガンの手配書であり、写っていたのは記憶喪失の男だった。保安官は酒場にいた記憶喪失の男、ジェイクを逮捕し勾留する。その夜、ジェイクとパーシーは、連邦保安官に身柄を引き取られようとしていた。そこに息子パーシーを釈放しろとダラーハイドが現れた。ダラーハイドはジェイクの事も知っていた。ダラーハイドは以前、ジェイクに自分の馬車を襲われ、金貨を強奪されていたのだ。そんなやり取りが行なわれていたその時、町の上空に光を放つ物体が出現した。 本作は基本的には西部劇である。特に前半の30分位、エイリアンが登場するまでは、完璧に近いカタチの西部劇だと言えるだろう。前半の30分間は、さしずめ流れ者のガンマンが、とある町に辿り着いたような昔ながらの西部劇のスタイル。しかも、その様子はムードたっぷり、実に魅力的に映し出されている。本作のようなタイプの作品が苦手な私でも、この秀逸な序盤に心を掴まれてしまったので、自然とストーリーに入り込む事が出来た。 そんな私が全体を通して興味深く感じたのは、奇妙な設定を用いているのにもかかわらず、濃い人間ドラマが映し出されている事だ。特別、他の一般的な作品以上に人間ドラマを深く掘り下げている訳ではない。それでも濃いと感じるのは、意外にも奇妙な設定を用いているからなのだと思う。 敵対する相手が人間ならば、例え理解も共感も出来ない許し難い巨悪であったとしても、その相手の人間性を無意識にでも感じる事になるだろう。しかし、本作の相手は得体の知れないエイリアン。なので観る人の意識はシャットアウトされて相手側には行き着かない。 そうなると自然と片方側、すなわち人間の方ばかりに意識が向く事となる。だから、極限まで深く掘り下げなくても人間ドラマが濃く感じる。あまり観てこなかったので気付かなかったのだが、本作のようなタイプの作品には、そういった効果があるのだと感心した。 さて、楽しみにしていたクレイグとフォードの共演だが、率直に言って少なからず拍子抜けさせられた。というのも、2人の役柄に格差を感じたからである。クレイグは主役なのだが、フォードはあくまでも助演。なので期待していた2大ヒーローが、がっぷり四つに組むような有り様ではなかった。但し、それでも存分に楽しめたのが嬉しい誤算である。 クレイグに関しては私の期待通り。演じるジェイクは、古来より継承される西部劇のアウトローヒーローそのもの。その役柄にクレイグのクールな魅力がマッチしており、孤高の存在感が一層輝いてカッコ良く映し出されている。 そして、私の期待を裏切り、助演に徹したフォードも素晴らしかった。フォードが一歩引いている役柄だからこそ、クレイグのヒロイックな姿が際立っていると言えるだろう。そもそもキャリアや年齢差を考えれば、2人の役柄の違いも納得出来る。 ただ、フォードは引き立て役に甘んじている訳ではない。引き立て役を演じつつも、その範疇で最大限に存在感を示しているのである。昔気質の頑固さと厳しさ。その垣間に見られるユーモラスな茶目っ気。フォードの魅力も存分に感じられる作品である。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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