自分勝手な映画批評
コットンクラブ コットンクラブ
1984 アメリカ 128分
監督/フランシス・フォード・コッポラ
出演/リチャード・ギア ダイアン・レイン グレゴリー・ハインズ
1928年、ハーレムのバンビル・クラブでコルネットを吹くディキシー(リチャード・ギア)。その演奏に感動したギャングのボス、ダッチ(ジェームズ・レマー)は、ディキシーを自分の席に呼び寄せ、酒を共にする。そこに抗争相手のギャングが現れダッチを襲撃する。しかし、間一髪でディキシーがダッチを助け、事なきを得る。

教えてくれ、お前はどこで踊るんだ?

コットンクラブとは1920〜30年代にニューヨークのハーレムに実在した高級ナイトクラブ。この店の特徴は、ショーの出演者は全て黒人、しかし店の客は全て白人である点である。そしてこの店の誉れはデューク・エリントンをはじめとする多くの一流ミージシャンが出演し、多くの著名人が客として足を運んだ点である。

但し、本作はコットンクラブ自体を描いた作品ではない。コットンクラブは言わば物語のシンボル的な役割であり、描かれているのは、その時代の華やかで悲しい群像劇である。

舞台は禁酒法の時代。その時代を描いた代表的な作品にアンタッチャブルがあるが、アンタッチャブルが禁酒法を大局的に描いているのに対し、本作ではほとんど触れられていない。禁酒法の代わりに本作で時代を感じさせるのは、幅を利かせていたギャングたちの世界の事情であり、人種差別の問題である。

本作は2つのストーリーが同時に進行している。1つは白人ミュージシャンの話。もう1つは黒人ダンサーの話。この2つはコットンクラブを中心に供えた裏と表の物語であると言えるだろう。

表となるのはグレゴリー・ハインズが演じる黒人ダンサーのサンドマンの話。彼はコットンクラブのオーデションを受け合格する。コットンクラブは彼にとっての最高のひのき舞台。だが、本を正せば極端な話、黒人が輝ける表舞台はコットンクラブでしかないという事でもある。表舞台に姿を現し、開かれたかに思えたサンドマンの人生は、開かれたからこそ人種差別の厳しい現実に翻弄される事となる。

裏となるのはリチャード・ギアが演じる白人ミュージシャンのディキシーの話。彼はギャングに気に入られたが為に、暗黒街へと引きずり込まれてしまう。彼は、元々は有能なミュージシャン。言ってみればサンドマンと同じ世界の人間である。しかし、一旦引きずり込まれてしまっては、抜け出そうにも抜け出せないのが常である。

古のギャングの世界を描き、2つのストーリーが混在する点は、本作と同じくフランシス・フォード・コッポラとマリオ・プーゾのコンビで製作されたゴッドファーザーと共通している。だが、似て異なるのが本作であり、それこそが価値である。

本作を観て、家族の絆の在り方を悲哀たっぷりに描いたゴッドファーザーの素晴らしさを改めて実感するのかも知れない。しかし、ギャングの世界を包括的に描き、そこで生じる一般目線の恐さを実感させられるのは本作ではないかと思う。それは、ゴッドファーザーでは描ききれなかった事を本作に託しているかのようにも受け取れる。

また、印象が異なる大きな要素は、コットンクラブを題材にしているだけあって、ジャズを主体としたゴージャスな音楽がふんだんに盛り込まれている点であろう。それはミュージカル映画のようでもあり、本作の大きな見どころである。特に、タップダンスのシーンは本作のハイライトだと言っても良いのではないかと思う程、ぞくぞくするようなカッコ良さを覚える。

中でもゴッドファーザーと同じ手法を用いたクライマックスシーンには感嘆させられる。コットンクラブのステージが行なわれている裏で遂行される残虐な行為。これはコントラストであるのだが、同時に上手い具合に同調させており、BGMのように響き渡るタップの音が、絶望感を一層あぶり出している。


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