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恐れに無知な男たち 原作はグスタフ・ハスフォードの小説。アメリカ海兵隊に志願し、海兵隊隊員になるべく訓練を受け、ベトナム戦争を経験する青年の姿を描いた作品。作品タイトルの「フルメタル・ジャケット」とは弾丸の名称であり、弾心が完全(フル)に金属(メタル)で覆われて(ジャケット)いる弾丸の事を指す。 1980年代中頃から末にかけて、ベトナム戦争をテーマとした映画が数多く公開されていた印象が私にはある。本作は、その時期に発表された作品である。上っ面だけ見れば本作は、そのブームの中のひとつと数えられてしまう作品なのかも知れない。だが、時が経っても色褪せない強烈な個性を発している作品であると言えるだろう。 南カロライナ州のパリス・アイランドにあるアメリカ海兵隊の新兵訓練基地の8週間制学院に、海兵隊に志願した若者たちが入所した。海兵隊隊員になる為の訓練は実に過酷で、教官も非情であった。だが、多くの訓練生は厳しさに耐え、訓練をこなしていた。しかし、その中で「ほほえみデブ」とのあだ名で呼ばれる男だけは、訓練を消化する事が出来ずにいた。ある日、根性を認められた「ジョーカー」と呼ばれる男は、教官に班長の職を任命される。同時に教官は、一人遅れをとっている「ほほえみデブ」の教育もするようにと「ジョーカー」に命じるのだった。 本作は、物語には一貫性はあるのだが、前半と後半でガラリと場面が異なるというユニークな特徴を持った作品である。前半は海兵隊隊員になる為の訓練の様子、後半は戦地ベトナムでの様子が描かれている。この前半と後半はピタリと接続してはいない。描かれてはいない幾分かの空白の期間が設けられている。 前半の訓練の様子は愛と青春の旅だちを思い起こす事になるのかも知れない。但し、愛と青春の旅だちにあった恋愛要素は皆無、それどころかプライーベートな部分さえも見事にすべてカットされ、ただただ過酷な訓練と共同生活の模様が映し出されている。 この前半だけでも物語は十分成立したであろう。しかし本作は、そこでは終わらせず、その先の戦地での様子まで追って描いている。何故、若者たちは訓練中に罵声を浴びせられ続け、人格を無視され続けたのか? その意味は後半があればこそ明確になるのだろう。前半でまいた種を後半で収穫する構成と演出は実に見事だ。だが、その妙技を味わう、そんな余裕はないのかも知れない。 私は、前半と後半の間に設けられた空白が本作の大きなポイントであると思う。空白がある事で登場人物に感情移入する機会を失ったように感じるのである。だからといって高みの見物をさせるつもりはないだろう。感情移入をさせない事は事実をドライに伝達する作用を促し、却って恐怖を現実的に感じさせる効果をもたらしていると思う。 本作は、どこを切り取っても過激で残酷であり、安らぎを与えてくれる場所は存在しない。そういった事から考えれば、荒療法で反戦を唱える作品だと言えるのかも知れない。しかし、もっと根本的な事、人間とは何か?とストレートに問いかけている作品だと言えるのではないかと思う。 日本語訳はクライマーズ・ハイ等を監督した原田眞人が担当している。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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