自分勝手な映画批評
007/ゴールドフィンガー 007/ゴールドフィンガー
1964 イギリス 112分
監督/ガイ・ハミルトン
出演/ショーン・コネリー ゲルト・フレー オナー・ブラックマン
海より革命家ラミネスのアジトに侵入したジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)は、アジト内の工場に爆薬を仕掛けた。そしてウエットスーツを脱ぎ、下に着込んでいたタキシード姿になって、その場を立ち去った。まもなくして、大きな爆音が響き渡った。

射出シート? 冗談だろ

イギリス情報部MI6の諜報員ジェームズ・ボンドの活躍を描いたスパイアクション作品。映画007シリーズの第3作目、イアン・フレミングの原作小説シリーズでは第7作目となる作品である。

劇中、ボンドがビートルズについて言及するシーンがある。ごく僅かな言及でしかないので、わざわざ取り上げるシーンではないのだが、それでも当時の世相が伺い知れる貴重なシーンだと言えるだろう。

実は、007とビートルズには因縁めいた不思議な共通点がある。映画007シリーズがスタートしたのと、ビートルズがレコードデビューしたのは同じ1962年。しかも、第1作目「ドクター・ノオ」の公開初日とデビューシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」の発売日までも同じ10月5日なのである。

もちろん、間違いなく偶然だ。だが、後の両者の世界規模、且つ、歴史に名を残す活躍、しかもイギリス発という共通点を考えると、あまりにも出来過ぎた偶然だと言えるだろう。ちなみに、ビートルズ解散後ではあるのだが、ポール・マッカートニーは1973年公開の007シリーズ第8作目「死ぬのは奴らだ」で主題歌を担当している。





マイアミのホテルで休養中のジェームズ・ボンドの元に、CIAのエージェント、フィリックス・ライターが現れた。ライターはボンドの上司Mからボンドに下された任務を告げに来たのだった。任務とは、国際的な実業家として著名なイギリス人、ゴールドフィンガーを監視する事。ゴールドフィンガーはボンドが滞在しているホテルにおり、プールサイドで賭けトランプをしていた。ゴールドフィンガーの様子がおかしいと感じたボンドは、ホテルのゴールドフィンガーの部屋に侵入する。案の定、ゴールドフィンガーはイカサマをしており、ホテルの部屋にいる女性ジルにトランプの相手のカードの手を望遠鏡を使って盗み見させ、その情報を無線で仕入れていたのだった。ボンドはジルの代わりにゴールドフィンガーと通信し、マイアミ警察にイカサマを通報されたくなければ、その場で1万5000ドル負けろと言って無線を切るのだった。そのまま、その部屋で過ごすボンドとジル。だがボンドは、冷蔵庫にドン・ペリニヨンを取りに行った際に、何者かに背後から襲われ気を失ってしまう。ボンドが目を覚ますとベッドの上に、全身をゴールドで塗られたジルの死体が横たわっていた。





「アチチ、アチ」のフレーズを大流行させた郷ひろみのヒット曲「GOLDFINGER’99」。おそらくタイトルは本作を由来としているのではないかと思う。だからという訳ではないのだが、本作は007シリーズの中でも有名な作品であり、代表作の1つとして挙げられる作品だと言えるだろう。

そうなった理由は、印象的なファクターが本作に存在しているからだと思う。ゲルト・フレー演じるゴールドフィンガー、ハロルド坂田演じるオッド・ジョブといった悪役や、オナー・ブラックマン演じるボンドガール、プッシーは、007シリーズ史上でも有数のキャラクターである。また、劇中に登場するゴールドで全身を塗られた女性の死体もインパクトが大きく、007シリーズを通しても有名なシーンである(このシーンは「慰めの報酬」でセルフオマージュされている)。

そんな中でも特筆すべきは007シリーズの代名詞の1つである、秘密兵器満載のボンドカーを初めて登場させた事だろう。第1作「ドクター・ノオ」の時点から、かなりの割合で後の作品のベースとなる部分が出来上がっていた007シリーズなのだが、秘密兵器満載のボンドカーを登場させた本作をもって、すべてのベースが完成したと言えるだろう。

正直、本作での秘密兵器が満載されたボンドカーの誕生は、功罪、両方あると思う。まず功績についてだが、言うまでもなく007シリーズの売りになった事である。007シリーズといえば、作品内容以上にボンドガール、そしてボンドカーが注目される。第1作目よりボンドガールは登場していたが、もう1つの大きなセールスポイントを本作で手に入れた事となる。

ただ一方で、荒唐無稽な作風を助長させたと言えるだろう。ボンドカーとしては初めてだが、トリッキーな秘密兵器は前作「ロシアより愛をこめて」でアタッシェケースのカタチで登場している。その程度の規模で秘密兵器をとどめておけば、シチュエーションとストーリー展開に重点を置く本格派なスパイアクションシリーズの路線が開けたのではないかと思う。

「ロシアより愛をこめて」で、本格派なスパイアクション路線を予感させる節はあった。しかし、本作で、その道は断たれたと言えるだろう。

だがしかし、荒唐無稽な作風に舵を切った事で007シリーズは世界的、歴史的な名声を授かったのだろう。本来なら地味な忍びの存在である筈のスパイを、派手なスターに仕立てた事こそ007シリーズ繁栄の原因。その派手さに荒唐無稽なボンドカーが一役買っているのは間違いない。007シリーズをたらしめるエンターテインメント性に特化する作風は、本作で決定的になったと言えるだろう。

実際には、数多くある007シリーズ作品の中には、大掛かりな秘密兵器を登場させずに実直で骨太なストーリーを描いている作品も存在している。だが、それらの作品も派手な007のイメージが潜在的にあるからこそ成立していると言えるだろう。

また、秘密兵器を満載したボンドカーを登場させた事は、嬉しい副産物も生み出している。それは、ボンドと秘密兵器製作を担当するQとのユーモラスなやり取りである。ボンドとQとのやり取りは前作「ロシアより愛をこめて」でもあったが、ユーモラスなのは本作からであり、本作以降、007シリーズの定番シーンとなっている。

実質的に初代となる本作のボンドカーに選ばれたのは、アストンマーチン・DB5。本作以降、車種が異なる数多くのボンドカーが登場するのだが、それでもボンドカーといえばDB5というのが007ファンの共通意識。そう至るのは、もちろんアストンマーチンが由緒ある自動車メーカーである事、また、素のDB5の魅力も大きいとは思うのだが、本作でのインパクトが強烈だった事が原因なのは間違いないだろう。

さて、肝心のストーリーなのだが、当然ながら中心となるのはボンドとゴールドフィンガーの攻防である。ボンドは優秀なスパイだが、ゴールドフィンガーも中々クレバーな人物。騙し合い、化かし合うような大人の攻防が繰り広げられるストーリーは、スリリングでミステリアスに展開して行く。印象が強い派手なファクターに心奪われがちだが、ストーリー自体からも確かな見応えを感じる事が出来るだろう。

オープニングのタイトルバックも秀逸である。担当するのは前作「ロシアより愛をこめて」同様、ロバート・ブラウンジョンであり、グラマラスな女体をスクリーンに見立てるスタイルは「ロシアより愛をこめて」を踏襲している。だが、女体はゴールドにペイントされている。そして「ロシアより愛をこめて」が女体にクレジットを映し出していたのに対し、本作では本作、及び過去の作品の映像を映し出している。

そのようなアレンジを施した事によリ「ロシアより愛をこめて」にあったセクシーなムードは残しつつ、格調高いタイトルバックになったと感じる。これはバックに流れる、シャーリー・バッシーがパワフルに歌い上げるゴージャスなテーマ曲のイメージにピッタリである。

第37回アカデミー賞、音響効果賞受賞受賞作品。


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