自分勝手な映画批評
ダーティハリー ダーティハリー
1971 アメリカ 102分
監督/ドン・シーゲル
出演/クリント・イーストウッド アンディ・ロビンソン レニ・サントーニ
プールで泳ぐ女性が、何者かによって射殺された。犯人がいた現場には「さそり座の男」と名乗る者からの犯行声明があった。

信念を貫く堅物刑事

サンフランシスコの荒っぽい捜査を行う刑事が、猟奇的犯罪を追う姿を描いた作品。

映画監督であり、市長になった事もあり、音楽にも造詣が深いクリント・イーストウッドは、様々な顔を持つ人物だ。本作のダーティハリーことハリー・キャラハン刑事も、そのうちの1つ。人それぞれ違うだろうが、一般的には、もしかしたら一番イメージされる顔なのかも知れない。

同じサンフランシスコを舞台にした刑事モノでは、1968年に製作されたスティーブ・マックイーン主演のブリットがある。私の勝手な見解だが、イーストウッドとマックイーンは、中々面白い関係のように感じる。

ブレイクしたのが西部劇である事が共通しているが、後のキャリアを考えると、マックイーンが西部劇のイメージをある程度払拭したのに対し、イーストウッドは引きずってキャリアを積んだように思える。それは意図してなのか、あるいは拭いきれなかったのかは不明だが、イーストウッドにとっては良い事だったように思う。付け加えるならマックイーンにとっても良い事だったと思う。

そんなイーストウッドが挑んだ本作なのだが、現代劇でありながら、やはりどこか西部劇のようなテイストが漂う。それは、前述した私の固定観念がそうさせるのかも知れないが、イーストウッド演じるキャラハン刑事が、法治国家の一員でありながら、しかも法の番人である刑事でありながら、超法規的な捜査を遂行する型破りな刑事だからである。キャラハン刑事は、正義を貫く為には邪魔となる法律を排除してまで、犯人を追い詰めて行く。

刑事でありながらアウトローなスタイルは、どこか、いにしえのガンマンを彷彿とさせる。もちろん、そんなの現実には通用する訳ではない。しかし、少し歪んではいるが勧善懲悪を目論む姿には、不謹慎であるが、爽快感を覚える。そして、その構図は、昔ながらの西部劇の常套手段であるように思う。法を犯す正義などあってはならない。ただ、それは重々判っていても、それがまかりとおり、且つ、魅了されるのは、フィクションの世界、スクリーンの世界の醍醐味であろう。

但し本作は、現代社会が舞台である事を忘れている訳ではない。その辺りをないがしろにせず、しっかりと描いているのは本作の秀でた点であろう。行く手を阻む法に対するジレンマや、刑事という職業の重責・重圧が描かれている事で、時代錯誤なヒーローを現代、あるいは現実につなぎ止めており、さらには作品に深みを与えていると言えるだろう。

そして、そんなヒーローに肩入れ出来るのは、変な言い方だが、魅力的な悪役がいるからこそである。犯人役のアンディ・ロビンソンの素晴らしく憎たらしい演技が観ている者の心情を逆なでする。まだまだ若々しく、アクションも冴えるイーストウッドと無気味なロビンソンの死闘は見応え十分である。


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