自分勝手な映画批評
K−20 怪人二十面相・伝 K−20 怪人二十面相・伝
2008 日本 137分
監督/佐藤嗣麻子
出演/金城武 松たか子 仲村トオル 本郷奏多 國村隼
1924年の帝都。ニコラ・テスラ博士が生涯を通じて研究していた無線送電装置(テスラ装置)の説明会の場に、怪人二十面相が説明会を主催する八木博士(串田和美)の助手(要潤)に変装して潜り込み、テスラ装置の模型を奪って行った。

「ありがとう」だろ、普通は

原作は北村想の小説「完全版 怪人二十面相・伝」。もちろん、その元となるのは江戸川乱歩の創作である。

本作の監督、佐藤嗣麻子の夫は「ALWAYS 三丁目の夕日」等の監督である山崎貴であり、本作には脚本協力・VFX協力で参加している。面白いのは山崎が監督した「リターナー」の主演が本作同様に金城武である点だ。両作の金城を起用した理由や経緯は実際には私には分からないし、こういった事で判断するのは浅はかで馬鹿げているのかも知れないが、夫婦にとって金城がお気に入りの俳優だと受け取れるのは微笑ましさも混じりつつ興味深い。





アメリカ・イギリス軍との平和条約を締結し第二次世界大戦を回避した日本は、19世紀から続く華族制度により極端な格差社会が生まれていた。職業の変更は禁じられ、恋愛の自由もなく、結婚は同じ身分の者同士でのみ許されていた。そんな中、上層階級をターゲットとし、美術品や骨董品を次々と魔法のような手口で盗んでしまう怪人二十面相が世間を騒がせていた。ある日、怪人二十面相は送電線を用いずに電気を送れる、実用化されれば世界的エネルギー革命になるテスラ装置の模型を盗んで行った。一方、サーカス団の曲芸師・遠藤平吉のところに雑誌記者の殿村と名乗る男が現れた。殿村は身のこなしの軽やかな平吉に、今度行なわれる羽柴財閥の跡取り葉子と名探偵・明智小五郎との結納の様子をカメラで撮って欲しいと大金を持参して依頼に来たのだった。恩師の病を治す為に金が必要な平吉は、その依頼を引き受ける事とした。





本作の大きな特徴は、本作の舞台が第二次世界大戦が回避された1949年の日本を舞台にしている事だ。第二次世界大戦が日本の歴史上、最も大きな出来事だと言っても過言ではないのは多くの人が納得するところではないかと思う。その史実をないものとするのは随分と大胆で、且つ斬新なアイデアである。

もしかすると見方によっては第二次世界大戦を抹殺した事をデリケートに捉える向きもあるのかも知れない。但し、本作はその領域に踏み込んでいない。つまり、イデオロギーに関して言及している作品ではないのだ。本作が第二次世界大戦を抹殺した理由は、単純に「バットマン」のゴッサム・シティのようなパラレルワールド的な架空の世界を作り出す為に必要だったからではないかと思う。

この他に類を見ない、ユニークなアプローチでの舞台設定への挑戦は見事に成功していると言えるだろう。本作の描いた作品世界は完璧、且つ魅力的だ。

もっとも、本作が映し出す景観が現実を大きく逸脱している訳ではない。あくまでもベースは現実。そこに非現実を上手い具合に盛り込み、架空の世界を創造しているのである。史実を曲げた荒唐無稽なアイデアからイメージを膨らませた青写真を元に、バランス感覚とアレンジ能力を駆使してリアリティーを持たせるデザインセンス。更には最終的にカタチにする技術力。一連の素晴らしい仕事振りには、ただただ感服である。

本作の作品世界が魅力的なのには、もうひとつ欠かせない要素があると思う。それは時代設定、1949年を物語の舞台にしている事だ。

本作には様々な機械が登場し、大きなポイントとなり作品を盛り上げている。但し、時代を考えれば当然なのだが、技術的には未熟であり、コンピューターのコの字もないようなメカニズムである。だが、このアナログでシンプルなメカニズムが高揚感を覚えるのである。これは宮崎駿作品の持つムードに似ているように思う。

似ているという事に関して言えば、避けられないのは前述した「バットマン」の存在であるだろう。パラレルワールドで展開されるアンチヒーローの物語という設定は非常に酷似しているし、アンチヒーローの誕生経緯をテーマにしている点は「バットマンビギンズ」と同様である。

しかし、大きく異なるのは作風である。本作は「バットマン」ほどシビアでシリアスではなく、ゆとりが所々に存在し、そこに人情味や温もりが込められている。どちらが良いという訳ではない。ただ、本作の作風には日本人の感性が影響しているのではないかと感じられる。

演じる俳優たちは皆揃って見事な演技をしていると思う。これも本作の見どころであり、本作の宝だと言えるだろう。作風に相応しいスケールの大きい演技で魅せる金城武。仲村トオルの気品、國村隼の味わいも良い。

そんな中で私が最も印象に残ったのはヒロインを演じる松たか子であった。率直に言って本作のヒロインは、つまらない訳ではないのだが、決して真新しいキャラクターではない。松は、そんな凡庸なキャラクターでも、確かな造形と眩い輝きを与えている。松の演技者としての底力を見せつけられた感じである。


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