自分勝手な映画批評
ベスト・キッド ベスト・キッド
2010 アメリカ/中国 139分
監督/ハラルド・ズワルト
出演/ジェイデン・スミス ジャッキー・チェン ウェンウェン・ハン
中国へと引っ越す事となったドレ(ジェイデン・スミス)は、引っ越しの当日、空っぽになった部屋で、それまでの背丈の成長が記してある柱を眺めていた。

君に本物のカンフーを教えてやる

いじめられっ子の少年がカンフーの修得を通じて成長する姿を描いた作品。1984年に公開された「ベスト・キッド」のリメイク。

オリジナルの「ベスト・キッド」と異なるのは、舞台を中国に移し、取り組む武術が空手からカンフーへと変更されている点だ。オリジナルの舞台はアメリカ。ただ、ベースには日本の文化があった。オリジナルの公開時、日本は国際社会で存在感を示す、勢いのある国であった。そして本作の公開時の中国は成長が著しい国である。設定の変更は、そのような国際情勢と関係があるようで面白く感じられる。

また、空手からカンフーへと設定が変わっても、本作の原題は「The Karate Kid」であるのも面白い。どうしてなのか本意は分からないのだが、リングで行なわれる総合的な格闘技を、あまり知識のない人が一緒くたにプロレスと称してしまうのと同じような感覚なのかも知れない。

母親の仕事の関係でアメリカから中国の北京へと引っ越して来た12歳の少年ドレ。引っ越して早々、トラブルに巻き込まれ、後に転校先の学校の生徒だと知るチョンにケンカで叩きのめされてしまう。テレビの空手の番組を見て模倣するなどして対抗しようとする気はあるドレ。だが、チョンを含めた少年グループの行為は、あからさまな“いじめ”と化し、次第にエスカレートして行く。

見方によっては感慨深い作品である。と言うのも、オリジナルの「ベスト・キッド」は、そもそもの製作意図は違うとは思うのだが、少なくとも公開時の日本では、ジャッキー・チェンが牽引し旋風を巻き起こしていたカンフーブームの時流に乗せた、言ってみれば一連のカンフー作品と同系の扱いをされていたように感じる作品だった。

言い換えれば、言い方は悪いが、アメリカ発の亜流だと解釈されてしまいそうな作品。そんな作品のリメイクに本家のジャッキーが出演している事は不思議な巡り合わせのように感じる。更には作品内容が、ジャッキーの初期のキャリアの代名詞的な「ドランクモンキー酔拳」等のモンキーシリーズを彷彿とするような師弟関係を主体としている事も、その想いを強くさせる。

作品内容とは一切関係ない、本編に踏み込む以前の事情だが、そういった事を踏まえてみると、ジャッキーにとってどことなく因縁めいたものを感じさせる作品である。もし主役の少年がウィル・スミスの息子ではなく、クリス・タッカーの息子だったりしたら更に面白かったのではないかと思う。

作品内容自体は単純明快。ただ、それは決して悪い事ではない。直球勝負で王道な作風は、本作のような普遍的なテーマを伝えるには至って確実、且つ効果的な手法であるだろう。また、何より少年の物語には相応しいと言える。絶対的に子供じみた作品ではないと私は思う。ただ、少年を主人公にした事で普遍的なテーマを分かりやすい勧善懲悪に当てはめる事が出来たのではないかと思う。

主人公のドレは基本的には口の減らないお調子者だが、いじめに怯える繊細な面も併せ持つ中々難しい役どころ。そんなドレをジェイデン・スミスが実に素晴らしく、そして愛嬌たっぷりに演じる。幼いながらも役柄に造形を与える演技は見事。母親役のタラジ・P・ヘンソンとのやりとりも実に微笑ましく映る。

モンキーシリーズとは立場が逆転した役、プレイヤーではなくマスターに扮するジャッキー。持ち前の明るさを封印し、全編を通じて陰気な役柄に没頭している。その辺りも本作の見どころのひとつとなるだろう。唯一のアクションシーンが子供相手にあるのだが、決して直接手を上げないところは、子供の味方のヒーローとしてのイメージを保っていて感心させられる。

もう1人、特筆したいキャストがいる。それは敵役の少年チョンを演じたチェンウェイ・ワンである。その憎々しい演技は見事なまでに観ている者の心を逆なでする。但し、その要素は本作には絶対に必要不可欠。作品のクオリティーに大きな影響を及ぼす程の重責を担い、尚かつ、縁の下の力持ちに徹するこれまた若き演技者の才能とその姿勢には、ただただ脱帽である。


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