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実に切ない… 原作は東野圭吾の第134回直木賞受賞の小説。また、テレビドラマ「ガリレオ」の劇場版でもある。テレビドラマを観ておいた方が本作の世界観、特に人物像・人間関係を理解しやすいであろうが、観ていなくても十分に味わえる作品だと思う。テレビドラマと同様にミステリーの手法はとっているのだが、よりクローズアップされた人間性が単なる謎解きでは終わらず、作品に深みをもたらしている。 本作は福山雅治が演じる湯川がメインというよりも、堤真一が演じる石神をメインにしているように感じる。だからといって湯川に見せ場がない訳ではない。湯川いるからこその石神でなければ本作は成立しない。湯川のスタイルはしっかりとテレビドラマを踏襲している。しかしテレビドラマほどショーマンシップに走らないことが本作のクオリティーを高めていると言えよう。 本作では石神が探求者ともいうべき根っからの数学者であること、そして天才でありながら報われた人生を送っていないことが大きな意味を成している。石神が意図して実行した計画は、あたかも答えを証明する数式のようである。そして彼のとった行動は証明すべき数式の一部である。完全主義者であろう天才数学者の彼にとっては決して譲れない一部なのだ。 絶望のどん底にいる時、ふと目にした道端に咲いている花は、どんなに小さくても、眩しく輝き、温かく大きく感じるものかもしれない。しかし、その花を愛したところで、見返りはない。見返りを求めないのではなく、最初から見返りはないのだ。もし、見返りがあるのだとしたら、綺麗に咲いてくれることだろう。ただし花が咲くのは、その花を愛した人の為ではなく、花自身の問題である。 そんな小さな花に、喜びを感じることもあるだろう。もし花が弱っているのなら、水でもあげるのかもしれない。しかし、いくら思い入れがあるにせよ、自分の所有物でも何でもない道端に咲く小さな花が、人生の唯一の希望であるならば、それはあまりにも切ない。 当たり前だが、数式と答えはイコールで結ばれる。彼にとって、彼の望んだ答えは、献身の行為に値するのだろう。唯一の希望だからこそ、自分の人生と引き換えにできるのであろう。 何故、男の人生は報われなかったのだろうか? 卑劣な犯罪を犯すような素性の男だから報われないのか? それとも報われないから辿り着いた卑劣な犯罪なのか? いくら大義名分があっても犯してはならないことがある。残念ながら湯川と石神の違いは結果として現れてしまった。 とにかく堤真一が素晴らしい。彼の死んだ目がとても印象的だ。彼はテレビドラマの「やまとなでしこ」で数学者を、映画「クライマーズハイ」で登山が趣味の人物を演じている。本作とは何の関係もないのだが、役のめぐり合わせとして面白いと感じた。本作の印象は堤真一と松雪泰子が決定づけているように感じる。松雪も儚い女性を好演している。テレビドラマからの顔である福山雅治と柴咲コウはもちろんだが、豪華かつ贅沢な使い方をしている脇役陣の仕事振りも見逃せない。 |
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