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自分を知ることで“生”に意味を持たせてください 原作はカズオ・イシグロの小説。重い運命を背負った寄宿学校の同級生3人の数奇な人生を描いた作品。 よくもまあ、こういった物語を創り出せるものだと心底感心させられた。但し、感心させられたのは豊かな作者の創造力であって、作品内容自体から快感を得られた訳ではない。女2人、男1人の三角関係を描いている本作だが、一般的な三角関係を想像して臨むのならば、少なからず痛い目に会う事だろう。 1978年、ヘールシャムという寄宿学校で学んでいるキャシー。キャシーの親友は活発な女の子ルース。そしてキャシーは、風変わりで皆から仲間はずれにされがちな男の子トミーの事が気になっていた。ある日トミーは、同級生と上手くいかずに運動場で癇癪を起こした。そんなトミーを新任の女教師ルーシーは、2人きりになって話して、なだめるのだった。その様子を見ていたキャシーは、ルーシーがトミーに何を話したのかが気になり、ルーシーの元を訪ね、その事を質問をした。するとルーシーは、「同級生に何か言われても気にしないで。重要じゃない。」と話したとルーシーに答えるのだった。 いわゆるミステリーの類いではないのだが、どのように物語が進んで行くのか、その方向性が最初は中々掴めない作品である。だからこそ、何を語っているのか、物語の全容が明らかになった時の衝撃は大きい。 但し、明らかになった時点から物語が急展開したり急加速する訳ではない。作品のトーンに劇的な変化は訪れず、終始、空一面を暗い雲が覆うような鬱積したムードで一貫している。ただ、そのような平坦なトーンであるからこそ、無情で絶望的な世界が濃く映し出されていると思う。 進化や発展とは既存の概念とのせめぎ合いである。前人未到の領域に踏み込むからこそ新しいモノが生まれる。だが、決して侵してはいけない領域はある。それは進化や発展、世の為、人の為との主張を振りかざしても踏み入れる事が許されない聖域である。 本作は荒唐無稽な物語だ。但し、その危険性は重々実感出来るだろう。それに、本作で描かれているケースではないにせよ、もしかすると、他の過ちが日常的に犯されいるのかも知れない。 そして、そういった事とは別に、潜在的な意識を刺激される事になるだろう。運命は誰もが背負っているものである。 キャリー・マリガン、アンドリュー・ガーフィールド、キーラ・ナイトレイの共演も本作の大きな見どころであるだろう。特にナイトレイが良い。ナイトレイが主役級の女優であるのは誰もが知るところだが、本作では明らかな引き立て役を演じている。これが実に良く効いている。ナイトレイが素晴らしく助演した事で、物語に鋭利な切れ味がもたらされている。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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