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自分から首を突っ込んで、探偵みたいな事やってるんじゃないか? 原作は内田康夫の小説。ルポライター浅見光彦が活躍する推理サスペンス。 何人もの俳優が演じ、何度もテレビドラマ化が繰り返される浅見光彦は、もはや明智小五郎や金田一耕助等と肩を並べる著名な探偵と言って良いだろう。私にとって印象深い浅見光彦作品は、本作以前に製作された火曜サスペンス劇場での水谷豊主演のシリーズである。 水谷版のシリーズで私は浅見光彦を知った。そして別段テレビの2時間サスペンスのファンではなかったのだが、水谷版浅見光彦シリーズだけは楽しみにしていた。更に付け加えると、あくまでも個人的な見解なのだが、今にして思えば、この浅見“水谷”光彦には、後の水谷の当たり役である「相棒」の杉下右京のルーツが多少なりとも詰め込まれていると思っている。 能の水上流宗家は、水上家の後継者だったのだが12年前に急逝した和春の追善能を行なう予定になっており、宗家の和憲より行なう演目が発表された。演目の中の二人静を演じるのは、和憲の孫の和鷹と秀美。但し、どちらが主役の静御前を、脇役の菜摘女を演じるかは、今後の稽古次第で和憲が決めるとした。そして、その場で同時に和憲は、この追善能をもって自分は宗家を引退すると発表した。一方、ルポライターの浅見光彦は、先輩で日本国語学研究所の所長の剣持より、能の舞台となっている史跡巡りの仕事を依頼されていた。最初は乗り気ではなかった光彦だが、奈良の吉野辺りも探索すると知り引き受ける事にした。光彦は先日、吉野で見知らぬ女性に世話になっていて、その女性に吉野に行けば会えると思っていたのだった。同時期、能衣装等の高級衣装を扱う、京都の織物会社の営業課長の川島という男性が、新宿で突然死亡する事件が発生していた。川島の死因は毒物による中毒、つまり、何者かに毒物を飲まされた殺人事件であった。死亡時、川島は鈴を持っていたのだが、それが吉野の天川村の天河神社の五十鈴だと判明した為、それを手掛かりに刑事の仙波と倉田は天河神社へと向かった。同じ頃、吉野に到着した光彦は、世話になった女性が天川村で旅館を経営している事を突き止める。旅館へ向かう光彦は、途中の山中で、ある男性を見かける。少し不審に思った光彦は、道を尋ねる素振りで男性に話し掛ける。だが、男性は、そっけない応対をするのだった。その男性、高崎は水上流宗家の人間。水上流宗家は天河神社に縁があった。そして高崎は、ある密命を持って、その地を訪れていた。間もなくして、天川村の崖で高崎の死体が発見された。 市川崑は日本の伝統的な様式美を魅力的に描く事に長けた監督だと思う。そう思うのは、市川の演出スタイルと日本の美の在り方が絶妙にマッチしていると感じるからである。 市川は素材の本来の良さを最大限に尊重しつつ、それとなく、何気ないスパイスを振り掛けて、更に素材の魅力を際立たせるのが抜群に上手い。例えば、「犬神家の一族」をはじめとする、市川の代名詞と言える明朝体のクレジット。明朝体は日本発祥の書体ではないのだが、新聞等で広く浸透している日本の一般的な書体である。新聞等で広く浸透しているという事は、実用的、事務的な印象も強く備わった書体であるという事。市川は、その書体の字形がもたらすニュアンスはそのまま保ちつつ、巧妙なレイアウトを用いてアートの領域まで発展させている。 ただ、この市川の手法は、そもそも日本古来からの美へのアプローチ、あるいは美のメカニズムだと言えるだろう。素材の良さを活かすなどと口にするのは容易いが、実行し、完成させるのは極めて困難。しかし、そこを追求するのが日本の美の真髄。もちろん市川が残した素晴らしい業績は、独自で希有な才能があってこそ。ただ、その基盤には、日本の美に関する深い造詣と十分な会得があったのではないかと思う。 そんな市川の熟練の仕事振りは、本作でも遺憾なく発揮されている。特に能を扱った事により、巧みな美技を顕著に実感する事が出来る。私は能に親しくないので、一人前どころか半人前な事でさえも語れないのだが、それでも本作での能の描写には強い感銘を受けた。 当然ながら名匠・市川の色を強く滲ませる本作。それは市川の代表作である金田一耕助シリーズをも彷佛とさせてもいる。もっとも、これは確信犯であるだろう。それは作品のムードはもとより、キャスティングを見れば一目瞭然。加藤武は、その最たるである。また、主人公の兄に石坂浩二を起用したのは、まるでお目付役のようであり、あたかも金田一の後継指名をしたようにさえ感じられる。 どうして金田一を再現しようとしたのか? その意図は私には分からない。ただ、ラストシーンを見る限り、金田一と同じようにシリーズ化を考えていたと思う。しかし実現には至らなかった。そして実現に至らなかった弊害はあると思う。シリーズ化を見越してか、浅見光彦作品の本来の魅力を出し惜しみしている感があるのだ。 もし、シリーズ化され、他の作品と合わせてトータルで考えられれば本作の価値は、もっと上がるのではないかと思う。そう考えると単発で終わってしまったのは、非常に残念な不幸である。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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