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そうかい、もうみんな帰るかい 老夫婦が子供たちに会いに東京を旅行する模様を描いた作品。 素朴な美を基調とした演出から穏やかなムードに感じる面もある作品なのだが、物語は痛い程に現実的であり、かなり辛辣、そして残酷だと言えるだろう。とある家族の姿を描いた本作。描かれている内容は、同じ状況であるか否か、あるいは同じ行動をとるか否かは別にして、思い当たる節がある人も多いのではないかと思う。なのでその分、胸に突き刺さり、心が痛むのではないかと思う。 尾道から東京で暮らす長男長女に会いに来た老夫婦。それぞれの家に厄介になるのだが、開業医の長男、美容院を営む長女は共に忙しく、二人をもてなす事が出来なかった。そこで長女は戦争で亡くなった老夫婦の次男の嫁で今は独り身の紀子に二人を東京見物に連れて行って欲しい頼んだ。紀子にも仕事があったのだが、休みをもらい長女の頼みを引き受けるのだった。 世の中に永遠は存在しない。カタチあるモノはいつかは壊れる。それは目に見えてカタチあるモノ、物体だけには限らない。ただ、壊れるという表現は適格ではないのかも知れない。だが、壊れないにしても変化が生じるのは事実であるだろう。時間は動いているので、その場に止まるのは絶対に不可能。つまり、同じ状態は絶対に保てない。 しかし、同じ状態を保っていると感じる事は身の回りを見渡せばあるだろう。ただそれは、意識してか無意識なのかは分からないが、同じ状態を保とうと働きかけているからなのだと思う。働きかける事により調整が施され、同じ状態が保たれるのではないかと思う。 例えば人間関係。長い間、良好な関係が続いている人同士がいるとする。もちろん互いに惹かれ合う部分がある事が関係の要ではあるのだが、その継続性は相手を大切に想い、関係を大事にしようと働きかけているから成立するのだろう。 それは家族だって同様であるだろう。血縁は断ち切ろうにも切る事が出来ない絶対的な絆。なので一見すると、その関係は永遠であると感じてしまうのだが、必ずしもそうとは限らないだろう。内部に生じた変化に対応しなければ家族だって、例え表向きは体裁がなされているとしても実態は崩壊してしまう。 「遠い親戚より近くの他人」というのとは意味が違うのだが、もしかすると家族よりも深い仲だと感じられる人、頼りになると感じられる人はいるのかも知れない。家族を差し置いてなどと言ったら聞こえが悪いが、そういう人がいても決して間違いではないし、それはそれで喜ばしい事だろう。だが、せっかく天が無条件で与えてくれた絆を不用意に壊してしまうのは、あまりにも残念である。 人が背負える荷の容量には限りがあるのかも知れない。なので新しいモノを手に入れた時、不要だと思ったモノを捨てているのかも知れない。だが、それは本当に不要なモノなのだろうか? あるいは、ちょっとした配慮でスペースが確保されて捨てずに済むのではないだろうか? 物事の本質は案外とシンプルである事が多いように思う。しかし、様々な事柄で覆い隠され、シンプルな本質を見失っているのが現実ではないかと思う。名匠と名優たちが情と非情を交錯させて人間関係の本質に迫った本作は、足を止め、自分自身を見つめ直すきっかけを与えてくれるような作品ではないかと思う。 |
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