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何かおかしい、何がおかしい? リストラにあった中年男性とその家族を描いた作品。 当たり前ではあるが、例えば男とは、性別が男である時点で、まぎれもなく男である。だが実際には、それ以上の役割、いわゆる男らしさを求められ、乱暴に言えば、それを含んだ上で男と総称される。 無論、女もそうであり、大人・子供・家族等々、ありとあらゆる総称には一般的な概念での「あるべき姿」が存在する。そしてそれらは、男らしい・女らしいのように「〜らしい」とも呼ばれているだろう。 本作では、その「あるべき姿」の規準から外れた、大人らしくない大人、子供らしくない子供等々の姿が描かれており、その姿を通じて、カタチに捕われる社会を皮肉たっぷりに風刺しているように感じる。 ただ、おそらく「あるべき姿」の規準にピタリと当てはまる人は、そうはいないだろう。言い換えれば、誰もが多かれ少なかれ、その規準からはみ出しているだろう。 本作で描かれている登場人物達の思考や行動も、決して異常で突飛すぎるとは言えず、そういう意味では許容範囲内だと言えるだろう。決して常軌を大幅に逸脱した、有り得ない描写を用いてエキセントリックな描き方をしている訳ではない。 だが、そもそも「あるべき姿」とはどういう事なのか? 「〜らしい」と思う基準はどこにあるのだろうか? もはや、語源や由来など置き去りにして、言葉だけが独り歩きしているのかも知れない。「あるべき姿」「〜らしい」という尺度を必要としないで生きている人にとっては、どうでも良い話だが、世の中、その尺度で成り立っている部分は大きい。しかし、「あるべき姿」の本質をしっかりと理解し体現していなければ「〜らしい」とは、ただの見てくれでしかない。 本作で描かれる家庭は、リストラによって崩壊したとも言えるだろう。リストラがなければ、家庭はそのまま継続していたのかも知れない。しかし、それは外身の枠組みのみのカタチだけ。その中身は、いつまでも蝕まれ続けていただろう。「名は体を表す」とは言うが、「名」ばかり取り繕っても、実際の「体」を疎かにするのならば何の意味も成さない。 人間、あるいは社会の歪みを、シニカル且つユーモラスに描く手法は秀逸。もがき・彷徨い・混迷する心情を本筋にしながらも、不意をつくような笑いを上手い具合にちりばめているので、観る者を重くさせず退屈もさせない。どこか人様の家庭を覗き見するような感覚に陥るのも面白い。 出演陣も総じて良い。香川照之は痩せ我慢で頭でっかちな父親を、彼ならではの喜怒哀楽で演じているし、母親も小泉今日子の演技により、対外的には羨ましがられそうな綺麗で優しいお母さんの意味合いが加わったように思う。井川遥のピアノの先生も雰囲気がある。 意外と言ったら大変失礼だが、小学校の先生を演じたアンジャッシュの児嶋一哉が実に良かった。登場頻度は決して多くはないのだが、ある意味、端的に本作を象徴するような役柄を素晴らしく演じている。 |
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