自分勝手な映画批評
大停電の夜に 大停電の夜に
2005 日本 132分
監督/源孝志
出演/豊川悦司 田口トモロヲ 原田知世 田畑智子
12月24日。ビルの屋上で天体望遠鏡を構える翔太(本郷奏多)は病院の屋上にいる麻衣子(香椎由宇)を見かける。その頃、遼太郎(田口トモロヲ)は入院している父(品川徹)の病室である告白を受けていた。

こういう夜だから、それもいいかな…

クリスマスイヴを襲った大停電。その最中での人間模様を描いた作品。主要キャストは12人。オムニバスのように複数のストーリーが展開する。ただし、明確な区切りはなく、まるでテレビのチャンネルをザッピングするかのように各ストーリーに転換し、それらは微妙に顔を合わせ交錯する。

鼻頭が赤くなる程、キーンと冷えきった12月。安堵と喧騒の年の瀬に差し掛かる頃の、きらびやかであるが厳かなイベント、クリスマス。しかし、思いもよらぬ大停電。時は待たず、イルミネーションのない聖なる夜は深々と更けて行く…。そんな雰囲気が綺麗にセンス良く描かれ、実に良く伝わってくる。実際はホロ苦いドラマではあるのだが、美を重んじる演出で中和され、大人のファンタジーのような風合いを覚える。

多数の独立したストーリーが混在する本作には主役が多く存在する。逆の言い方をすれば本作に明確な脇役は存在しない。なので通常なら主役だからこそ焦点が当たるパーソナリティーを、より多く味わえる。それがストーリーを多く抱える利点だろう。

その一方でストーリーを深く掘り下げられない事が難点となる。乱立された各ストーリーや登場人物の背景を凝縮して見せようとする意図は感じられ、成果もあると思うのだが、如何せん時間的に不十分であり、その一時だけを切り取った感は否めない。しかし、それを悪いとは私は思わない。むしろ、このようなスタイルだからこそ必要以上に描かない美徳が上手く実現されているのだと思う。

私は本作を観て、わたせせいぞうの漫画「ハートカクテル」を思い出した。ひとつのストーリーが5ページ程度しかないこの短編漫画は、ちょっとした日常の一時を切り取ったドラマを実に粋に描いている。大袈裟な物言いをすれば、俳句や短歌にもどこか通じるような趣きである。

「ハートカクテル」が連載されていた1980年代はバブル崩壊後の厳しい世情など思いもよらなかったであろう時代だ。バブルと聞けば派手なバカ騒ぎといったイメージなのかもしれない。だが同時に夢がありロマンティックな時代だとも言えると思う。おそらくすべてにおいて余裕があったからそういった思考に成り得たのであろう。

そんな時代から生まれたのがトレンディードラマだったりする。本作にもトレンディードラマのような香りは漂う。悪く言えば軽薄でキザなムード重視。そういった意味では時代錯誤なのかもしれない。確かに人間の心情を丁寧に描き、感情を露にしているような作品には心を動かされる。だが、私は本作の世界観にも魅力を感じる。

本作で描かれている人間ドラマは決して平坦ではない。しかし、すべてをさらけ出し深く感情移入させるのではなく、あえて満たさず、足らずに出来た余白を楽しむように、さらりと粋でスマートに描く。そんなロマンティックな大人の風流に心地良さ覚える。本作は、そういったジャンルのひとつの完成形ではないかと思う。

そんな世界観を実現する俳優陣の顔ぶれは、雑多なストーリーと同様にバラエティー豊かであり、各ストーリーで各々の存在感を示している。本作のイメージを一番担っているのは豊川悦司だ。薄暗いジャズバーでの彼の語りは、グラスやマッチの音等と見事に調和し作品の雰囲気を高める効果をもたらしていると思う。また、本作のような作風には馴染みが薄く思える大ベテランの宇津井健・淡島千景が素晴らしくマッチしているのも興味深い。名優たる所以を思い知らされるのと同時に、そもそものキャスティングを含めた制作者側のセンスをここでも垣間見れる。

外は雪。無数のキャンドルが暖かく灯る中、指先から弾き出される「マイ・フーリッシュ・ハート」。万感の想いを言葉でなく演奏にぶつけた渾身のソロはユニークではあるが圧巻だ。だが、いつの間にか音色は変わって行く。切ない男のバラードは難儀なクリスマスイヴを過ごした戦士たちを慈しむ優しいキャロルとなり、それぞれの朝を迎える。


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