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無理かどうかは女の子が教えてくれるさ 高校生の男女の恋愛と友情をクラシック音楽を絡ませて描いた作品。原作は新川直司の漫画でアニメ化もされているのだが、どちらも私は未見。 私は子供の頃にヴァイオリンを習っていた。最初は楽しかったと思うのだが、次第に地元の友達と遊ぶ方が楽しくなり、ヴァイオリンを習いに行く日に友達と遊べなくなるのが嫌で辞めてしまった。また、クラシックが嫌いという訳ではなかったが、かと言って別段、好きではなかったというのも辞めた原因になっていたのだと今となっては思う。クラシックは子供時代の私が熱中する音楽ではなかった。 しかし、子供の頃に苦手だった食べ物が大人になって好物になるのと同じだろうか、年齢を重ねるに連れてクラシックの良さが分かるようになり、時々だが聞く事もある。なので、中途半端にヴァイオリンを辞めた事を今では少し後悔している。もし、続けていたのならば、プロになっていたなんて自惚れは微塵もないが、趣味の1つとして生活に潤いをもたらしていたのかも知れないなんて思ったりもする。 渡の事が好きだという女の子に渡の事を紹介して欲しいと頼まれた椿は、その事を渡に伝え、今度の土曜日に2人を合わせる事になった。そして、その場にいた公生にも一緒に来るように頼んだ。当日、待ち合わせの公園に着いた公生は、まだ来ていない椿と渡を待っている間にピアニカを吹いて子供達と合奏している女の子を見かけた。「ブレーメンの音楽隊だな」と呟いた公生は、微笑ましい光景を写真に収めようとスマートフォンを構えた。その時、風が吹き、女の子のスカートが捲くれ上がる。スマートフォンを構えた公生を見た女の子は「何やってんのよ、この盗撮魔!」と叫びながら、一目散に公生の元に走ってきた。「痴漢!変態!」「違う!違うって!」と2人が言い争っている時、椿と渡が現れた。その女の子は渡の事が好きだという、かをりだったのだ。お互いの紹介が終わった後、椿は「じゃあ、行こっか」と言い出した。「どこ行くの?」と聞く渡に対し、椿は「音楽ホール、かをちゃんね、これからヴァイオリンのコンクールに出るの」と説明。それを受けて、かをりは「私、ヴァイオリニストなの」と言った。「へぇー、カッコイイじゃん、応援しなきゃな」と喜ぶ渡。一方の公生は「椿、僕はいいや」と浮かない顔で、その場を立ち去ろうとした。しかし、かをりは公生の手を取り、笑顔で「行こう」と言うのだった。 ストーリーの本質は、あまりにも切ない。だが、作品のムードは暗いとは言えず、むしろ、明るい。その上、前向きな気持ちにさえなれる。何故そんな、あべこべな状況になっているのかというと、不良ではない、優良な若者達がストーリーを構築しているからに他ならない。 そうなると綺麗事ばかりが並べられた作品だと思うのかも知れない。確かに、そうなのかも知れないが、ストーリーの本質である切なさは綺麗事であるが故に到達した境地なのだ。また、本作では悲劇が描かれているのだが、その悲劇がストーリーを盛り上げる為の道具のように扱われていると受け取られるかも知れないし、そうであれば、その事に嫌悪感を覚える人がいるのかも知れない。だが、若者が悲劇に真正面から体当たり姿は、目を背けがちな大切な事を再確認させる効果があるのではないだろうか。 本作の明るいムードを牽引しているのは、ヒロインかをりを演じる広瀬すずだ。そもそも元気の良い演技は広瀬の持つ大きな武器であり、観ているだけで元気になってしまう程の破壊力がある。そんな広瀬の魅力が本作でも遺憾なく発揮されている、と言いたいところだが、本作では少し違う。遺憾なく発揮されてはいるのは間違いないのだが、伝わるのは元気だけではない。元気の良い演技は涙腺をも刺激するのだ。もちろん、かをりというキャラクターの設定が、そうさせている面は大きいのだろうが、それを具現化する広瀬の実力は素晴らしいと言う他ない。 椿を演じる石井杏奈も明るいムードに寄与している。石井も元気が良く似合う。石井のポジティブな魅力は、損な役回りばかりなので、断然、脇役設定の本作での椿を、脇役以上、ヒロイン未満まで押し上げたと言えるだろう。また、椿が、かをりと同調する事で作品の統一感を生み出し、青春時代の友情を美しく描く事に成功しているのだが、これに関しても石井の嫌味のない演技だからこそ成立していると言える。 そして、中川大志が演じる渡が違った角度から明るいムード作りに参加している。渡が明るいムード作りに用いた手段はチャラさ。なので、かをりや椿とは少し違う。ただ、その一方で渡は他の若者達よりも少し大人で、物事を見渡せる事が出来て、頼りになるという側面もある。だから、若者達を陰から支える役割を果たしていると言えるのだが、そんな渡を中川は見事に演じている。チャラさは地ではないかと思う反面、肝心な台詞に説得力を持たせる中川の演技には、若いながらもベテラン大物俳優のような懐の深さが感じられる。 このように作中に明るいムードが漂う中、1人だけ異質なのが本作の実質的な主人公、公生だ。公生は暗いという訳ではないのだが、上記の3人が陽性で外に向かってエネルギーを発散させているのに対し、公生だけは陰性で内にこもりがち。公生曰く、公生の世界はモノトーンだそうだ。もっとも、だからこそ、ドラマになっていると言えるのだが。 山崎賢人はナイーブな公正の内面を抑えた演技で巧みに表現している。それはピアノ演奏の演技の時でも同じ。と言うか、ピアノ演奏こそが、本作における山崎の演技の最大の見どころとなる。ハイライトはコンクールでのピアノの独演、ショパンの「バラード第1番ト短調 作品23」。ありったけの想いを丁寧に詰め込み、一音一音、愛しんで奏でられるピアノ。二重奏に心を躍らせ、躍動するピアノ。運命に抗い、必死に叫んでいるピアノ。作中の台詞でラブレターだと称されたピアノ演奏は、否が応でも胸に突き刺さる。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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