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見えてたものが見えなくなるってのは怖えですよ 車寅次郎と言えば渥美清だが、座頭市と言えば勝新太郎という事になる。実際、座頭市は勝を主演として1962年から1973年にかけて25作の映画、1974年から1979年にかけて4本のテレビドラマシリーズ、そして、1989年には再度、映画化されて1作製作されている。 そして、勝自身にも座頭市には強い思い入れがあったようで、座頭市のキャラクターは1962年に初めて映画化する際、小説家、子母澤寛の原作から映画用に再構築する作業が行われているのだが、その作業に勝は監督の三隅研次や脚本の犬塚稔らと共に参加しているらしい。また、テレビドラマシリーズの一部と1989年の映画では、主演のみならず、監督も兼任している。 しかし、渥美と車寅次郎の関係性と勝と座頭市の関係性は少し違うと言って良い。渥美は車寅次郎が国民的な人気を博すようになると、車寅次郎以外の役を滅多に演じなくなり、また、私生活も頑なに明かさなかった。一方の勝は座頭市以外の役も演じていたし、私生活でも話題を提供していた。よって、世間のイメージでは、渥美と車寅次郎は一体化していると言っても過言ではないのだが、勝の場合、座頭市だけをイメージする訳ではない。 そういった事が多少なりとも影響してか、勝が1997年に没した後、座頭市は勝だけのキャラクターではなくなり、2003年にビートたけしが演じ、2008年には、座頭ではなく瞽女ではあるのだが、綾瀬はるかも市を演じている。 そして2010年の本作という事になるのだが、本作で座頭市を演じた香取慎吾の経歴を紐解いてみると、忍者ハットリくんを演じ、孫悟空を演じ、両津勘吉を演じている。慎吾ママという一世を風靡したキャラクターもあった。このように香取はキャラクター演じる事が多い、珍しい経歴の持ち主なのである。 演じる事を許される次第となった有名キャラクターを、キャラクターを演じるスペシャリストが演じる。それまで香取が演じて来たキャラクターと座頭市を同一線上に並べるのは違うという意見もあるのだろうが、私には興味深いものに感じた。 妻のタネと穏やかな暮らしをする為に、これまでの稼業を辞める事を決意した市は、最後の仕事に取り掛かる。向かうは多勢だが、傷つきながらも最後の仕事をやり終える市。その様子を見ている者が2人いた。満身創痍な市を見て、年長者は「あの座頭市をやったとなりゃ親分も…」と言って若者をそそのかし、若者の腰に納まる刀を抜いて若者に渡し、背中を押す。うつむきながらも刃先を市に向け、突進する若者。そこに市を心配したタネが突如として現れ、若者は市ではなくタネを刺してしまう。タネを失った市だが、タネの生前の希望どおり、一人、自らの里へと向かった。 本作を観て、まず感心したのはセットの素晴らしさだ。私は普段、あまり熱心に時代劇を観ていないので、いい加減な事しか言えないのだが、時代劇の町並みは、どれも似たように感じてしまうところがある。しかし、それが本作には全くない。もっとも、漁村を舞台にしているので、既存の時代劇のオープンセットは使用できなかったのだろう。だから、本作の為にセットを拵えたのだろうが、その出来栄えが素晴らしく、また、素晴らしい出来栄えを魅せるカメラワークも抜群で、俄然、鑑賞意欲を湧いた。 その素晴らしいセット、及び、雄大な自然の中で繰り広げられる物語は絶望と狂気が入り交じり、重くて暗い。そして、物語の中心にいるのは当然、香取が演じる座頭市なのだが、本作の香取を観て、まず私が感じた事は体躯の良さだ。 私は香取が近藤勇を演じた大河ドラマ「新選組!」を観ていたが、その時は袴姿が多かったせいか、あまり体躯が良い事は気にならなかった。しかし、本作では脚にぴったりとフィットする股引を履いているので、体躯の良さが目立っている。それは、率直に言って時代劇らしくはなく、多少なりとも違和感がある。 ただ、少しこじつけ気味になってしまうが、そういった違和感こそが、香取の特色だろう。香取は器に収まるタイプではない。それでは何故、明確に器がある既存のキャラクターを香取は多く演じてきたのかという疑問が生じるが、もちろん、国民的なスターをキャスティングする事の多大なるメリットはあるのだが、せっかく新しく始めるのだから、前任者に倣うだけの事はしたくない、香取に打ち壊してもらおうという思いもあったのではないかと思う。 香取が演じる座頭市は、勝が演じる座頭市とは違う。それは、勝の座頭市を愛する人達にとって受け入れ難い事なのかも知れないが、私には香取の座頭市も十分魅力的であって、香取の一途で真面目な座頭市は本作にマッチしていると感じる。 香取以外にも、個性を没し、役に自らを当てはめるというよりも、自らの個性で役を乗っ取ってしまう俳優が多くキャスティングされているように感じる。だから、必ずしも適材適所なキャスティングだとは言えないのだが、その代わりに登場人物達には、俄然、リアリティーがあるし、そのリアリティーが作品のパワーを増幅させている。 そんな中、岩城滉一について述べたい。岩城には男らしいイメージがあるが、そのイメージに反して本作では、頼りない、情けない男を演じている。そして、その岩城の演技が本作の効果的なアクセントになっているのだが、岩城の経歴を振り返ると代表作のテレビドラマ「北の国から」やW浅野で一大旋風を巻き起こした大ヒットテレビドラマ「抱きしめたい!」でも、本作と似たところのある役を演じている。男・岩城が、情けない、頼りない男を演じる事に長けているというのは、何とも興味深い。 本作のキャストには意外な面々も含まれているのだが、特に驚いたのは仲代達矢とZEEBRAだ。 正直、本作で仲代が演じた役は、超大物俳優、仲代ではなくても成立したのではないかと思う。つまり、仲代の、もったいない使い方をしているように感じるので、仲代のキャスティングは、いささか不思議である。推測だが、仲代と勝には少なからず因縁があったので、その事が仲代のキャスティングに影響した可能性も考えられる。しかし、いずれにせよ天下の仲代の存在感は抜群で、仲代のお陰で作品は随分と引き締まったと思う。 一方のZEEBRAは、演技をするという事を知らなかったので驚きだったし、しかも、演じる舞台がZEEBRAから一番遠いところにあるような時代劇という点が驚きに輪をかけた。そして、付け加えると、ZEEBRAが本職の俳優達に引けを取らない良い演技をしている事も、失礼ながら驚きだった。 鑑賞するにあたり、色眼鏡を持ち出したくなるのは本作の逃れられない運命だと言えるのだが、内容はとても充実しているので、純粋に作品に臨めば、大いに見応えを感じられる作品ではないかと思う。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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