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ド・ゴールが協力してくれるさ フランス大統領シャルル・ド・ゴールの暗殺を請け負ったジャッカルと呼ばれる名うての殺し屋と、ジャッカルを追うフランス警察の警視との攻防を描いた作品。 原作はフレデリック・フォーサイスの小説。フォーサイスは1960年代初頭にロイター通信社の特派員としてフランスに駐在しており、その時の経験が執筆に活かされているらしい。私は未読であるので間抜けな事しか言えないのだが、原作はかなりの評判を得ている作品のようである。 1962年8月、フランスでド・ゴール大統領の乗った車が銃撃される事件が発生した。ド・ゴール大統領はアルジェリアの独立を認めた事で軍部などの右翼過激派の恨みを買っており、銃撃事件は、その過激派の地下組織が連合して組織されたOASによる犯行であった。しかし、140発以上もの銃弾を浴びせたにもかかわらず、奇跡的にド・ゴール大統領も同乗者も無傷、すなわちOASのド・ゴール大統領暗殺計画は失敗に終わったのだった。6ケ月後、犯人らは捕らえられ、死刑を宣告された主犯のバスチアン中佐は3月11日に銃殺された。その一件を境にOASは根絶されたかのように思われていたのだが、元落下傘部隊長ロダン大佐を新しい首領とした残党たちは諦めてはいなかった。オーストリアに逃亡していた彼らは、ド・ゴール大統領の暗殺を顔が知られている自分たちではなく、部外者の外国人の殺し屋を雇って実行させる事とした。6月15日、彼らに呼び出されたコードネーム・ジャッカルと呼ばれる男は、50万ドルでド・ゴール大統領の暗殺を引き受けるのだった。 本作は、いくつかの大きな特徴を有する作品である。まずは、事の推移を実に詳細、且つ丹念に描いている点が挙げられる。ド・ゴール大統領の暗殺を引き受けたジャッカルが、どのような計画を企て、どのように準備をして、どのように実行していくのか。また、逆の立場、暗殺計画を知ったフランス政府及び警察が、腕利きのルベル警視を中心として、どのように情報を集めて、どのように糸口を見つけ、どのように捜査を展開していくのか。双方とも実に事細かく、しかも抜け目なく描かれている。 そういった細部へのこだわりが影響してか、シーン数が断然に多いのも本作の特徴であるだろう。登場人物や描かれる事柄が多く、シーンごとに舞台となる土地や場所も変わったりするので、特に作品冒頭は非常に目まぐるしく、物語を整理するのが難しく感じられるのかも知れない。但し、おそらくそれは冒頭だけであり、一旦ペースを掴んでしまえば極上のサスペンスを心ゆくまで楽しむ事となるだろう。 そして、私が一番興味深く感じた本作の特徴は、実に淡々と物語を進行させている点である。作品のボリュームや題材の大きさを考えれば大袈裟にでも装飾をしたくなりそうなものだが、本作はそうはしていない。バックに音楽が流れる事は、ごく僅か。更には台詞さえも厳選され、物語を進行させる上での最低限しか用いられてないのではないかと思う。その台詞の質の影響もあってか、登場人物の心理描写は、ほとんど描かれていない。 つまり本作は、感情に訴えかける為の有りと有らゆる演出を、出来る限り省いた作品なのである。これはエンターテインメント作品としては極めて異質、もっと言えばエンターテインメントの旨味を放棄したと言えなくもないだろう。 だが、それでも成立してしまうのが本作の凄いところだろう。否、逆にヘタな装飾がないからこそ本作が素晴らしいと言えるのだろう。装飾がないからといって決して地味な作品ではない。装飾、とりわけ分かりやすい心理描写と引き換えに本作が手に入れたのは、写実的な乾いたリアリティーであり、そこから生み出される濃密な緊迫感である。素晴らしいストーリー展開が本作の最大の魅力であると思うのだが、その魅力を引き立たせたのは、他ならぬドライな演出なのだと思う。 ジャッカルを演じるのはエドワード・フォックス。甘いルックスのフォックスは殺し屋という役柄には不適格かと思ったのだが、これが上手い具合に効いている。甘いルックスから感じる気品は、冷静沈着な殺し屋としてのプライドとして映し出される。本作のジャッカルのキャラクターは007/ジェームズ・ボンドに通じるものがあるように感じる。 現実と虚構を巧みに操る見事な構成と演出でスリリングにストーリーを展開させ、本来あるべき結末に疑いを抱かせる程のパワーを持った本作、常に食い入るように前のめりにさせられる本作は、かなりの完成度を誇り満足感をもたらす傑作であると思う。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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