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俺はただ、頑固じゃないと分かってほしくて 原作はエルモア・レナードの小説。捕らえた極悪人を3時10分発のユマの刑務所行きの列車に乗せる為に護送する、その道中での騒動を描いた西部劇。1957年に公開された「決断3時10分」のリメイク。 ユニークな作品だと私は感じた。と言うのも、舞台となる時代も影響しているのだと思うのだが、本作の設定には支離滅裂、ハチャメチャに感じる部分がある。それだけを見ればB級チックにも感じてしまう作品である。だが、本作から感じるのは超大作にも引けをとらない無骨な重厚感。この妙なバランスは不思議な魅力となって現れている。 牧場を経営しているダン・エヴァンスは経営がうまくいかずに借金があり返済を迫られていた。ある日、放牧させていた牛を連れ戻しに出掛けたダンと息子二人のエヴァンス親子は、ベン・ウェイド率いる強盗団が駅馬車を襲撃する現場に遭遇する。エヴァンス親子は惨劇を離れた場所から見ていたのだが強盗団に見つかってしまった。しかし、乗っていた馬は取られたものの命を奪われる事は免れたのだった。駅馬車の襲撃に成功した強盗団は街へと赴き、他者を装って保安官たちに駅馬車の襲撃があった事を知らせて保安官たちを現場に向かわせ、街で一時の安楽を過ごしていた。保安官たちが向かった現場では、駅馬車の唯一の生き残りである探偵社の賞金稼ぎマッケルロイをエヴァンス親子が救助していた。負傷したマッケルロイを連れて街へと戻る保安官たち。同行するダン。まだ街にいたベン・ウェイドはダンの目の前で保安官に逮捕された。 本作を端的に言い表せば「男とは何ぞや」と問いかけた作品なのだと思う。そもそも男っぽい西部劇の世界。その中でも突き抜けてしまった残虐な悪党と、対極に底辺をさまよう家庭を愛する実直な男とのコントラストが本作の心臓部である。但し、簡単な対比ではない。両者は互いに惹かれ合うところを有しているのである。 残虐な悪党は夫・父親としての男の姿。実直な男は豪快で勇敢な生きざま。それぞれが自分が持っていない部分に憧れ、尊敬の念を抱いている。男のあり方とは決して1つではないだろう。また、無い物ねだりだと言ったらそれまでなのかも知れない。しかし、冷風が吹きすさぶ荒野で肝の据わった男たちの無い物ねだりは、哀愁を帯びさせ、大変興味深く感じる。 本作は俳優たちの素晴らしい存在感と演技力を余すところなく堪能出来る作品だとも言えるだろう。ラッセル・クロウが垂れた瞼の奥の瞳で悪党ベン・ウェイドの孤高のカリスマ性を表現する。豊かに演じるのではない。存在感で圧倒するのである。この姿には唸らされる。 対するクリスチャン・ベールは実直な男ダンを繊細に演じる。彼も決して動的には演じていない。但し、揺れ動く心境は確実に表現している。しかもマッチョな男らしさが備わっているのが大きい。その事でキャラクターに奥行きが与えられている。 この二人の応酬だけでも十分満足なのだが、脇を固める名演が本作を更に引き締める。歪んだ狂気のベン・フォスター、老いてもプライドは堅持するピーター・フォンダ、健全な精神で荒れた現状を中和するアラン・デュディック、惨劇に戸惑う権力者ダラス・ロバーツ、親の背を見るローガン・ラーマン、信仰深く博愛なグレッチェン・モルと、どこを取っても褒める要素しか見当たらない。 西部劇ならではの作品だと言えるのかも知れない。だが、その利点を最大限、否、何倍にも増幅させているのが本作の優秀たるところである。だれる事なく、確かな見応えがギッシリと詰まった本作。中々の秀作である。 |
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