自分勝手な映画批評
青春の殺人者 青春の殺人者
1976 日本 118分
監督/長谷川和彦
出演/水谷豊 原田美枝子 市原悦子 内田良平
恋人のケイ子(原田美枝子)とスナックを経営している順(水谷豊)は、自分の車を取りに行く為、雨の中、女モノの傘を持って実家へと向かった。

そおっとやって、痛くないように…

原作は実際に千葉で起きた事件を題材にした中上健次の小説「蛇淫」。両親を刺殺した青年の姿を描いた作品。

今も尚、衝撃を覚える作品ではないかと思う。もちろん、惨忍な犯行の衝撃は月日の経過によって劣化されるものではないだろう。ただ、その事実とは別に、迫真の演技、見事な演出等が作り出した生々しい臨場感がもたらす衝撃、言わば創作としての衝撃も、未だに色褪せる事なく現存している作品ではないかと感じるのである。

親に与えられたスナックを恋人のケイ子と共に経営している順は、自分の車を取りに実家へと戻った。順の両親はケイ子との交際を良くは思っていない。父親は感情的になる母親を外出させ、順と二人きりで話をし、ケイ子と別れるように説得をする。だが順は、父親のケイ子を侮辱する言葉に逆上し、父親を刺し殺してしまう。そこに母親が帰ってきた。

物語のきっかけとなる犯行の様子は、かなりの時間を割いて丹念に描かれている。とにかく、このシークエンスが強烈で、しかも秀逸である。ほぼ、順を演じる水谷豊と母親を演じる市原悦子の二人芝居。演技が達者な二人の激突は本作の大きな見どころである。

不慮の事故ではなく作為のある犯行なのだが、瞬時に爆発した感情が引き起こした衝動的な犯行。迎えた結果は、身勝手な言い種になるのだが、当事者である順にとっても突然に訪れた信じられない現実なのだろう。信じられない現実なのは、帰宅したら世界が一変していた母親も同様、いや、順以上である筈だ。しかし、その状況で母親の本能が順とは違う尺度で動き始める。

同じ惨状を目の当たりにしているのだが、少し立場が違う二人。それぞれの心情が、僅かな時間で慌ただしく、激しく揺れ続ける。

正直言って二人の芝居には、リアリティーを無視したオーバーな振る舞いも多分に感じられる。だが、純粋に芝居だけを唯一の表現の手段として、非現実のような見るも悲惨な現実を観る者に伝達するには、その位は必要なのかも知れない。

それは芝居の原点であり醍醐味のように思う。もちろん、独りよがりの自己陶酔で自己満足にしか思えない演技は観る者にとって苦痛なだけである。しかし、そうならないのが彼らが優秀な演技者であるところ。世代が違う俳優同士が同じリングに上がり、ノーガードで殴り合うかのように繰り広げられるエキセントリックで凄まじい演技の応酬は見応え十分。緊迫した状況が大迫力で伝わってくる。

ショッキングな事件の後も物語は続く。この事件後の展開こそが本作が描きたかった物語であるだろう。ただ、その展開は、どこか惰性で進められて行くように感じる。

但し、惰性と言っても決して悪い意味ではない。計画的ではなく突発的に起こしてしまった犯罪。もちろん、許される訳ではない。ただ、自分の犯した大罪、事の重大さにたじろぎ、茫然自失になっていては、後の行動、逃げるにしろ自首するにしろ、どこか上の空で、自分の意識だけ取り残され、時間だけが過ぎて行く感覚であろう。この辺りの描写も非常に上手く描かれている。

過激なストーリーを、さらに濃く彩る若かりし頃の名優たちの血気盛んな演技はどれも素晴らしい。前述した水谷豊、市原悦子はもちろんだが、体当たりで大胆なシーンもこなした原田美枝子も強く印象に残る。

彼女の演技は未熟だと感じる面もある。だが、その事が却って良い効果をもたらしていると言えるだろう。青春の名を掲げた若者の物語である本作。あどけない彼女の危なっかしくも瑞々しい美しさが、その多くを担っているように感じる。


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