自分勝手な映画批評
ルパン三世カリオストロの城 ルパン三世 カリオストロの城
1979 日本 100分
監督/宮崎駿
声の出演/山田康雄 島本須美 小林清志 井上真樹夫 増山江威子 納谷悟朗
ルパン三世(山田康雄)と次元大介(小林清志)は、公営カジノから大量の札束を強奪する。追っ手を振り切り、札束で一杯のフィアット500の車内で大はしゃぎで悦に入るルパンと次元。しかし、紙幣に目を落とした瞬間、ルパンの顔から笑みが消えた。

奴は、とんでもないものを盗んで行きました

ヨーロッパの小国、カリオストロ公国でルパン三世が活躍する姿を描いた作品。アニメ、ルパン三世の劇場用映画第2作目となる作品であり、宮崎駿の映画初監督作品である。

本作公開当時、テレビでは赤いジャケットを着たルパンが活躍するセカンドシリーズが放映されていた。しかし、本作でルパンが着用するジャケットは緑である。緑のジャケットはテレビのファーストシリーズでルパンが着用していたジャケットである。

同時期に異なるルパンが存在する事に関しては、前作「ルパンVS複製人間」の時点で解決している。ただ、本作でルパンが緑のジャケットを着用しているのには明確な理由がある。

本作は、1968年の物語である。その事は、作中に登場する新聞「ル・モンド」の日付で確認できる。つまり、本作はテレビのセカンドシリーズ以前の物語であり、よって緑のジャケットを着用しているのだと推測できるのである。





ルパン三世と次元大介は、公営カジノから大量の札束を強奪したのだったが、それはすべてニセ札だった。しかも、ただのニセ札ではない。幻のニセ札と呼ばれるゴート札だったのだ。ゴート札は、人口3500人の世界で一番小さな国連加盟国、カリオストロ公国で製造されているという噂だ。そして、ゴート札にちょっかいを出して帰って来た者はいないという話だ。その真相を確かめるべく、ルパンと次元はカリオストロ公国に入国した。入国してまもなく、乗っていた車のタイヤがパンクしてしまい、タイヤ交換を余儀なくされる。その最中、ルパンと次元は花嫁衣裳を着た女が運転する車と、その車を追う車に遭遇する。





本作は、数あるルパン三世作品の中で最高傑作と称される作品である。それどころかアニメ、あるいは邦画の中でも最高の部類に属する作品である。もっとも監督デビュー作とはいえ、後に世界的な巨匠となる宮崎と、アニメ界、否、国民的なスーパースター、ルパンとのタッグなのだから傑作であるのは当然の結果だと言える。

ただ、両者は本作が初顔合わせではない。宮崎は名前は伏せていたが、テレビのファーストシリーズの演出をしていたのである。従って本作は、ある意味、図らずとも集大成となるような作品なのである。本作の高いクオリティーは、そういった事情があったからこそ実現したのだとも言える。

本作は、とてもロマンチックだ。もっとも、ロマンチックな作品は無数にあるし、他のルパン三世作品でもロマンチックな作品は数多くあるから、ロマンチックな事は珍しい事ではない。ただ、本作が他のルパン三世作品と違うところは、そのロマンチックが宮崎流のロマンチックだという事だ。

宮崎流のロマンチックは、既存のルパン三世作品とは異なる様相に映るのかも知れない。しかし、ルパンの新たな一面を引き出していると解釈する事ができる。そして何より、ルパンが宮崎流のロマンチックの中で躍動しているのだから、申し分ないだろう。

他にも宮崎らしさを感じるところがある。それは、ディテールとリアリティーだ。どちらも宮崎が得意とするところであり、一方で他のルパン三世作品に欠けているところ、とまで言ったら言い過ぎだが、少なくとも本作のレベルまで達していないところである。

物語の舞台は架空の国、カリオストロ公国。フィクションならば、架空の設定を用いるのは当然の事だ。架空の国を存在させる物語も決して珍しくはない。ただ、いくら架空とはいえ、陳腐に設定してしまうと、とたんに物語自体も陳腐になってしまう。スポーツにおいて、選手が良いプレーをする為には、整備されたグラウンドや会場が必要なのと同じで、良い物語を繰り広げる為には、しっかりとした設定が必要なのである。

そんな事、通常の思考回路で考えれば当然の事なのだが、残念ながら、設定が陳腐な作品は数多く存在している。理由は、製作者が深く考えていないという事も考えられるのだが、一方で、架空の設定を作り出す事は非常に困難な事だとも考えられる。

その点、本作のカリオストロ公国は、実に丹念に設定を作り上げている。その設定の細かさは、それだけで1冊の本が出来上がりそうな程であり、本当にカリオストロ公国という国が存在しているのではないかと思える程である。なので、物語は思う存分に繰り広げられているし、観る者も邪念を抱かず、物語に引き込まれる。

描写に関しても、ディテールとリアリティーに強いこだわりを感じる。ただ、あくまでもリアリティーはリアリティーであり、リアルではない。

アニメは、言うまでもなく、すべてが創造の産物である。だからと言って、あまりにも現実離れした描写は観る者は受け入れない。従って、現実的な描写が必要となる。但し、単純に現実的に描写すれば良いという事でもない。それではアニメで表現する価値はなくなってしまうし、また、現実的であると、却って非現実的に映ってしまう場合もある。従って、ある程度、非現実的な誇張を加える必要がある。

つまりアニメは、現実と非現実の間にあるリアリティーを上手く活用しなければならないのである。但し、これは簡単な事ではない。想像力、技術力、センス等といった要素が高いレベルで、すべて備わっていなければ実現しない、非常に困難な事なのである。

しかし本作は、いとも容易くと思える程にリアリティーのある描写を実現し、活用している。特にアクションシーンのリアリティーは秀逸だ。断崖絶壁を車が走り、遠く離れた屋根に人間が飛び移るが、まったく違和感は感じさせず、高揚感や緊張感といった旨味を与えている。

本作公開当事に比べて、アニメの製作技術は格段に進歩しているのだろう。しかし、あまり詳しくはないので、いい加減な物言いになってしまうが、アニメらしいリアリティーのある描写に関しては一向に進歩せず、むしろ衰退しているように感じる。本作を観ると、そういった事を感じてしまう。

随分と古い作品になってしまったが、アニメならではの素晴らしさが溢れんばかりに詰め込まれている作品であり、それ故に、今も尚、眩しく輝いている作品である。そして、おそらく、この先も輝き続ける事だろう。


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