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男は強い女が嫌いだって兄貴が言ってた 1970年代に実在したガールズロックバンド、ザ・ランナウェイズの伝記映画。ボ−カルだったシェリー・カーリーの伝記「ネオン・エンジェル」が物語の元となり、ギターだったジョーン・ジェットが製作総指揮に名を連ねている 私のランナウェイズの知識は、名前を聞いた事がある程度でしかない。ランナウェイズは日本でも人気、というか母国アメリカよりも日本での人気の方が高かったというので、良く知っている人は沢山いる事だろう。そういった人たちには、本作がどう映ったのか分からない。ただ、知識の乏しい私にとっては十分満足のいく、非常に見応えのある作品であった。 ロック好きのギター少女ジョーンは、ある夜、クラブ「ロドニー・ビンゲンハイマーズ」で有名なレコード・プロデューサー、キム・フォーリーを見かける。ジョーンはバンドはやっていなかったのだが、女子でバンドを作りたいとキムに自分を売り込んだ。するとキムはジョーンに、その場に居合わせたサンディというドラマーの女の子を紹介した。そしてキムは、2人で形になりそうだったら連絡してこいと告げるのだった。その日以来、練習を重ねるジョーンとサンディ。そんな2人にキムは可能性を感じていた。しかし、何かが足らないとも感じていた。2人の練習を見ていたキムは、その場にあった雑誌を広げる。そこにはオートバイに乗ったセクシーな女性が写っていた。その女性を見てキムは、足らない要素に気付くのだった。同じ頃、複雑な家庭環境からか、グレてしまったシェリーという女の子がいた。デビッド・ボウイが好きなシェリーは、夜な夜な1人でクラブ遊びをしていた。いつものように1人でクラブにいるシェリー。そのクラブに足らない要素を探しているキムが訪れた。一目見てシェリーのルックスを気に入ったキムは「君をメンバーにしてロックの歴史を作る」と言ってシェリーをバンドに勧誘するのだった。 まずは、物語の導入部分が素晴らしい。1970年代中盤当時のハイセンスなムードを充満させつつ、何かが起こる予感、何かが始まる前夜のようなムードをプンプン漂わせている。 何でも、監督のフローリア・シジスモンディは、ミュージックビデオを手掛けてきた人らしい。導入部分、ひいては本作のセンスには、そういったキャリアが大きく影響していると強く感じる。 ちなみに、その導入部分でダコタ・ファニング演じるシェリーが真似をする、デビッド・ボウイのアルバム「アラジン・セイン」のレコードジャケットでのメイクは、ナショナルの炊飯器のマークをモチーフにしたらしい。 ボウイ、特にグラム・ロック時代のボウイは、歌舞伎の要素を取り入れたり、山本寛斎が衣装を担当したりと何かと日本と関わりがあった。そんなボウイに多少なりとも影響を受けているランナウェイズの人気が、どこよりも日本であったという事実は、中々興味深く感じる。 導入部分で心を掴まれてしまうので、後は自然と物語に引き込まれる事となる。本作の製作に携わっているランナウェイズのメンバーはシェリーとジョーンの2人だけしかいない。なので、本作をもってランナウェイズだとするのは早合点なのかも知れない。但し、本作に描かれている、ランナウェイズ誕生から崩壊までの間に詰め込まれたボリューム満点の悲喜こもごもが、大変大きな見応えをもたらすのは確かである。 前例のないガールズロックバンドの前途は、メンバー個々の熱意と、彼女たちを引率する大人の戦略に掛かっている。それらが噛み合っていれば万事上手く行く。まっしぐらに同じ夢に向かっているのだから、噛み合うのは当然なのかも知れない。しかし、ある程度の地点まで到達すると不協和音が生じてしまう。 そもそも皆が同じ夢を見ていたのだろうか? それとも当初の夢よりも大切なモノが見つかったのだろうか? 否、ある程度の成功を手にして、更なる欲が出てきたのかも知れない。不協和音の原因は、彼女たちが多感なティーンエイジャーであるのも影響している事だろう。そして、それを汲み取れない大人にも問題があるだろう。ガールズロックバンドはビジネスだ。しかし、彼女たちのナイーブな想いはビジネスとは違う次元に存在している。 メンバーたちの意向とはズレがあるのだろうが、ランナウェイズがアイドル性を伴ったバンドであるのは間違いないだろう。ランナウェイズとは形態こそ違えど、日本にも数多くのアイドルが存在する。日本のアイドルの実情、あるいは秘めた胸の内を本作のランナウェイズと重ねるのは飛躍し過ぎだろうか? 物語の充実が本作の魅力である事に間違いないが、双璧の魅力としてユニークなキャスティングが挙げられる事だろう。ジョーンとシェリー、主役の2人を演じるのは、クリステン・スチュワートとダコタ・ファニング。この子役上がりという共通するキャリアを持った2人のキャスティングは本作の大きなトピックである。 個人的には、ダコタのキャスティングが感慨深い。愛くるしさを振りまいていた名子役が、ドラッグに溺れる堕天使を演じている姿に大きな衝撃を受ける。だが、演じるシェリーにウブな部分が残っているのが救い。そこにダコタの従来の魅力がリンクしている。なので、シェリーは理解し難い破滅的な人物ではなく、同情心をも誘う、幼気なガラスのヒロインのように映し出されている。 そんなダコタの最大の見せ場は、日本を舞台にした「チェリーボム」のライブシーン。このシーンだけでも本作を観る価値はあると思う。 成長した姿がセンチメンタルな感情を刺激し、ちょっと「北の国から」にも似た感覚を呼び起こす主演2人のキャスティングだけでも十分満足だ。だが、キャスティングの面白さには、まだ続きがある。 シェリーの母親を演じるテータム・オニールも子役出身。しかも1973年に出演した「ペーパー・ムーン」で第46回アカデミー賞の助演女優賞を、史上最年少の10歳で受賞した子役だったのである。更にはシェリーの双子の姉マリーを演じるライリー・キーオは、何とエルヴィス・プレズリーの孫娘である。 意図していたかは不明だが、結果的に毛色が似たようなメンバーが集結しているのにはニヤリとさせられる。もちろん作品内容とは一切関係ない。だが、こういった裏事情も本作の魅力の一部になっていると思う。 ちなみに劇中にも描かれている、ランナウェイズのターニングポイントとなる写真集のカメラマンは篠山紀信であるようだ。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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