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彼女たちと、メンバーたちと一緒にいたいから 高校の文化祭に出演する女子高生のバンドを描いた作品。 本作の特徴として挙げられるのは、ブルーハーツの楽曲を使用している点であろう。彼らのパワフルでストレートなロックンロールは現在でも色褪せずに魅了させられる。さらには、彼らの楽曲から感じる荒削りな疾走感は高校生の物語にはピッタリであろう。但し、彼らのパワーを賑やかしとして本作に取り入れたのではないと私は思う。 ブルーハーツの詩は、私には難しい。特に少ない言葉で形成された「リンダリンダ」は難関だ。それでも何とかして、この曲の意味を私なりに解釈してみれば、あまりにもそのままで、安直なのかも知れないが、内面の美しさを訴えているのではないかと思う。 そんな楽曲をモチーフにしたであろう作品タイトルを持つ本作の根低にあるのは、大袈裟に言えば、人間の本質は善であるという事なのだと思う。だから、人間の内面は誰でも美しく、人間、誰とでも分かりあえる。 仲違いからメンバーを欠き、文化祭への出演が危ぶまれた女子高生バンドは、韓国人留学生をメンバーに入れ、文化祭への出演を目指す。決して、日本と韓国の友好、ましてや世界平和なんて大それた事ではない。人間、誰でも分かりあえるというのは、個人レベルの問題である。だから、もちろん日本人同士、女子高生同士でも成立する。 昼夜を問わず、急造バンドをカタチにして行く女子高生たち。少し言葉足らずな物語を、他のブルーハーツの楽曲が補足する。「僕の右手」は失ったモノの尊さを暗に訴える。でも仲違いなど些細な事だ。そんな事なんて「終らない歌」を歌い終わるまでには解決させよう。言い変えれば、解決するまで「終らない歌」を歌い続けようという事なのだろう。 本作は、高校生を主人公にした物語特有の大胆な展開はあるものの、若き血潮漲る青春群像劇ではない。音楽技術の向上と共に若者が成長する物語とも違う。そういった意味では、青春映画としてのエンターテインメント性に欠け、少々伝わり難いのかも知れない。 ただ、劇的な脚色を抑える事によって、何気ない日常の大切さを浮き彫りにする事が、本作の意図するところなのではないかと思う。さらには、劇的ではない、何気ない日常の描写が、作品にリアリティーをもたらしているとも言えるのではないかと思う。 それは登場人物のキャラクターにも表れている。まさに留学生といった日本人とは違う表現を用いるペ・ドゥナ、女の子らしい前田亜季、大人びた香椎由宇、クールな関根史織。女子高生バンドのメンバーは個性豊かだ。だが、強い自己主張を感じさせる訳ではなく、逆に平穏な雰囲気を漂わせ、等身大の日々のリアリティーを演出している。 リアリティーは、恋愛部分にも感じられる。自分の殻が破れない小林且弥演じる男子高校生。自分の殻は破ったものの、そこで立ち往生してしまう松山ケンイチ演じる男子高校生。まだまだ未熟な高校時代。経験が乏しい故の歯がゆさは、懐かしみを込めて共感出来る。 また教師との距離感も実に良い。私自身を振り返ってみて、小・中学校の先生と高校の先生とでは、随分と雰囲気が違っていたように思う。教師という立場は基本にありながらも、ある意味、大人同士のように対等に接してくれる先生もいた。そんな感じの教師を、不器用さを加味して甲本雅裕が素晴らしく演じる。 ブルーハーツのボーカル、甲本ヒロトの実弟である甲本雅裕の本作への出演は興味深い。もちろん、彼の名演は血縁関係など何一つ関係ない。ただ、やはり、どうしても節々でニヤリとさせられてしまう。 |
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