自分勝手な映画批評
二十四の瞳 二十四の瞳
1954 日本 156分
監督/木下惠介
出演/高峰秀子 笠智衆 天本英世 夏川静江
昭和3年4月4日の朝、歌を歌いながら学校へ向かう子供たちは、今まで岬の分教場の教師だった女先生に出会す。子供たちは、その女先生から、今度新しく岬の分教場に赴任する大石先生の話を聞き出す。

小石先生、泣きみそ先生

原作は壺井栄の小説。小学校の女性教師を中心とした香川県小豆島の人々の姿を戦前・戦中・戦後に渡って描いた作品。

今さら言うまでもないのだが、作品タイトルである二十四の瞳とは、12人の生徒の2つの目の合計数である。余談だが、1億2千万人が日本の人口だった時に製作された「ジャパーン!」の叫び声でお馴染みの郷ひろみの楽曲「2億4千万の瞳」は本作をもじった楽曲タイトルなのだろう。

物語は昭和3年、高峰秀子演じる大石先生が小豆島の岬の分教場に赴任するところから始まる。当時の当地では珍しい洋服で、なおかつ自転車で登校する大石先生を島の大人たちは怪訝(けげん)な目で見つめる。しかし、大石先生が熱心で子供たちからも愛されていると知った大人たちは、次第に心を開いて行く。

ここまでは学園モノとしては、口悪く言えばありきたりだと言えるだろう。但し、決して悪い事ではない。ありきたりではあるが、このような経緯で人間関係の構築を描く手法は、その本質を分かりやすく感じさせる極めて有効な手法だと言えるだろう。

だが、物語はここで終わらない。残念ながら物語は中盤以降、悲しく切ない方向へと転換して行く。

物語に変化をもたらす第一の要因は戦争である。戦争は、この時代を描く上では欠かせない要素であるだろう。本作には戦闘行為等、直接的な戦争の描写は一切ないのだが、逆にその事で日常生活での戦争のリアリティーを実現させているように思う。

そして、もう一つの大きな要因は貧困である。現代の作品でも戦争を描く事はあると思うが、貧困をここまでまじまじと感じさせる作品はないのではないかと思う。

そう感じるのも、貧困に直面しているのが幼い子供たちだからである。彼らは10歳そこそこで、家庭の事情、世間の事情で進路を決め、社会に出なければならない。いや、その年齢に達していなくても、すでに社会に出ていると言って良いだろう。本作からは未成年という概念は感じられない。だが彼らは、まだまだ甘えたい幼き子供たちである。この様相は決して現代には置き換えられないだろう。

戦争と貧困。重くて辛い苦しみが、何の責任もない幼気な小さな肩にのしかかり、二十四つの瞳の行方を危うくさせる。

技術的な完成度からいって、時代を感じさせる面も往々にしてある作品だが、それをも打ち消し2時間半の比較的長丁場を惹き付ける手腕は見事。激動の約20年の歳月の重みがボリューム感たっぷりにズシリと伝わってくる。その中心で高峰秀子が眩しく力強い輝きを放ち続ける。

小学校唱歌をはじめとする子供自分に口ずさみ慣れ親しんだ楽曲が挿入されているのも本作の特徴であろう。そういった類いの楽曲をここまで多く用いているのは珍しいのではないかと思う。私は本作で描かれている年代の人間ではない。しかし聞き覚えのある懐かしい歌を耳にすると、自分もその場にいるような感覚に陥る。どういった意図でこのような選曲になったのかは分からないのだが、公開時から随分と経った現代では実に優れた効力をもたらしているように思う。

本作は、いつまでも大切にしたい日本の宝とも言うべき名作であると思う。同時に、後世に伝えなければならない作品であるとも思う。


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