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ひるむな! 持ち場を守れ! 怖じ気づくな! 原作はパトリック・オブライアンの小説「オーブリー&マチュリンシリーズ」。19世紀初頭、ナポレオン戦争時のイギリス軍艦のクルーたちの様子を描いた作品。 恥ずかしながら学生時代、勉学を疎かにしていた私ではあるのだが、世界史の教科書でのナポレオン・ボナパルトに関わる項目の記述は、薄らとではあるが覚えている。それらはナポレオン主体の記述、すなわちナポレオンの立場からの記述だったように記憶している。 本作は、ナポレオン戦争をナポレオンとは逆の立場から描いている作品である。但し、本作は史実ではなくフィクションである。だがそれでも、歴史教科書とは違う観点での語り口は興味深く感じられる。 1805年4月。ヨーロッパ征服を狙うナポレオンにイギリス艦隊は敢然と立ち向かっており、ジャック・オーブリー艦長率いるサプライズ号は、フランスの私掠船アシュロン号の大平洋進出を阻止せよとの指令を受け、ブラジル北岸沖を航海していた。ある朝、サプライズ号はアシュロン号と出会し、交戦する事となった。但し、アシュロン号は最新鋭の戦艦。古いサプライズ号では歯が立たず、次第に窮地に追い込まれていった。だが、オーブリーはラッキー・ジャックと呼ばれる名艦長。海上に立ち篭める霧を利用し、その中に紛れ込んでアシュロン号の攻撃から逃れる事に成功するのだった。九死に一生を得たサプライズ号だったが痛手は深く、航海を続けられる状態ではなかった。当然のごとく祖国へ戻ろうという意見が多勢を占める。だが、オーブリーは、このまま航海を続けると言い渡すのだった。 少しユニークに感じる面のある作品だと感じた。というのは、敵対する相手方がある物語でありながらも敵の描写は皆無であり、およそ全般がサプライズ号のクルーたちの描写だからである。 相対する設定を用いる場合、物語を広げる為にも、敵だと認識させる意味でも多少なりとも相手方の様子を描くのが常だと思うので、このような形態は珍しいのではないかと思う。前述した教科書の記述と関連づければ、殊更面白く感じてしまう。 ただ、大きく一方に片寄せた分、深く掘り下げられているのは確かである。サプライズ号内のクルーたちだけという限られた世界、しかも女性は登場せずに男性ばかりである事は、本来ならウイークポイントにもなりかねない筈なのだが、じっくりと煮詰め、煮込む事で実に色濃く、豊かな人間模様を描き出している。 本作のスタート時点で、すでに船上。なのでクルーたちが、どのような心持ちで航海に臨んだかは分からない。だが、立場も年齢もキャラクターも違う個性豊かな面々が何を信じ、どのようにして過酷な状況に立ち向かうのかという航海中の様子だけでも実にドラマチックで見応え十分。その有り様からは、フィクションであり、エンターテインメント性も強い作品ではあるのだが、僅かながらもドキュメンタリーのようなテイストも感じ取る事が出来る。 また、スケールの大きい海上での描写も見どころとなる。白熱した戦闘シーンはもちろんの事、荒れ狂う大海原での模様も大迫力である。それらを、どのように撮影したのか私には分からないのだが、いずれにせよ、雄大に現場を再現し、手に汗握る臨場感を多大にもたらしてくれた製作陣の仕事振りには敬意を表したい。 古い時代を描いた作品であるので、多少なりとも当時の知識を必要とする作品であり、知識がなければ難しく感じるところも少しはある作品なのかも知れない。しかし、その難点を差し引いても大きく余りある、高い満足度が得られる作品だと言えるだろう。 そして、古い時代を舞台にしたからこそ、説得力のあるメッセージが発せられているのだと感じる。男とは何か? 責任とは何か? 更にはリーダーとは、カリスマとは何か? 現代では叩き売りされ、二足三文となってしまった数々の言葉の本来の意味を考えさせられる作品ではないかと思う。 第76回アカデミー賞、撮影賞、音響編集賞受賞作品。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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