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丁度いいところって、分かるようで分からなかったりするんですよね 京都を舞台に、そこに住む人々の日常を穏やかに描いた作品。作品タイトルの「マザーウォーター」とはウイスキーの仕込み水の事を指すらしい。 とにかくユニークな作品だ。と言うのも、本作にはストーリーらしいストーリーが見当たらないのである。 登場人物は、ウイスキーしか出さないバーの店主セツコ、コ−ヒ−店の店主タカコ、豆腐屋で働くハツミ、家具職人のヤマノハ、銭湯を経営するオトメ、その銭湯で働く若者ジン、一人暮らしの老女マコト、そして1歳半ぐらいの乳児ポプラ。 決して少なくない登場人物。各人の設定もバラエティーに富んでいる。しかも演じるのは、人気も実力も、更には豊かな個性までも備わった俳優たち。これだけ役柄も俳優も整っているのならばストーリーに期待したくなるのが当然であろう。しかし本作は、ただただ平坦な日常が綴られているだけなのである もちろん、だからといって手を抜いている訳ではない。これが本作の趣旨なのだ。本作で描かれているのは安息の地。だから本来なら変化や展開、最低でも進行があるべきストーリーが一向に動かず、その場で停滞している。足を止めた安息の地を描くのならば、このような様相になるのは自然の成り行きだと理解しても良いだろう。ただ、この安息の地が途中の休憩地点なのか、それとも終着地点なのかというのは、本作のひとつの焦点となるだろう。 しかし、この形態に幾ら納得が出来ても、ストーリーが動かない本作が極めて異質な作品であるのは間違いないだろう。ただ、異質だと感じさせる事こそが本作の真の狙いではないかと思う。ちょっと大袈裟な言い方になるが、本作は既存の価値観への疑いと固定観念の打破を訴え、更にはその根拠まで示した作品ではないかと私は感じた。 本作の登場人物たちの生活スタイルはスローライフと呼ばれるものではないかと思う。何かにせっつかれるように先を急ぐのではなく、足元を十分に意識して、そこでの幸せを目一杯に感受する彼ら。そんな彼らは、毎日を慌ただしく送り過ごしている者には、自分とは違う価値観で時を刻んでいるように映るのではないかと思うし、また、彼らの有り様を羨ましく感じるのではないかとも思う。 但し、勘違いしてはならないのは、彼らは決して怠け者ではないという事だ。彼らはマイペースであるのは確かなのだが、同時に実に勤勉でもあるのだ。つまり、自堕落な生活をしているのではなく、その奔放に見える生活の裏側には、しっかりとした意志と自覚、そして責任が存在するのである。すなわち彼らは名実共に歴とした自立した個人なのだ。本作が穏健な庶民風情を描いているのにもかかわらず、案外とドライに感じられるのは、その為であるだろう。 本当の意味で自立した個人でいる事は難しいのかも知れない。それは、いわゆる社会的な自立の事ではなく、内面の自立についてである。自分の掲げた主張は、もしかすると誰かの、何かの受け売りなのかも知れない。また、自分の持つ価値観とは、実は世の中の多勢に寄り掛かっているのかも知れない。何を隠そう、私自身がそうであるだろう。私が本作をユニークで異質だと感じたのは他の作品と比べたからであり、つまりそれは、一般という価値観にとらわれているからなのだろう。 別段、他との共有が悪い訳ではない。共有あるからこそ社会が形成され、また、社会が安定するのだろう。場合によっては迎合も必要な時もある。しかし、他に交わり倣っているばかりでは大切なモノを見失ってしまう可能性もあるだろう。 描かれている内容はもとより、作品の在り方自体にもハっとさせられてしまう本作。表向きの穏やかで心地良い質感とは裏腹に、実のところは前衛的で案外とシビアな作品だと言えるのかも知れない。 もっとも、もっとシンプルにウイスキー・コーヒー・豆腐が美味しそうだと感じられれば良いのかも知れない。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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