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そんなん覚悟の上じゃないんかね! 広島県を舞台に1人の女性の姿を通じて戦前、戦中、戦後を描いた作品。原作は、こうの史代の同名漫画。 本作は、製作費の一部をクラウドファンディングで調達した作品である。その額は4000万円近くにもなるというのだから、凄い。本作は日本国内のみならず、海外でも高い評価を得ている作品なのだが、クラウドファンディングがなければ、それこそ、この世界の片隅にさえ存在しなかったのかも知れない。なので、エンドロールで名前が紹介される、クラウドファンディングに参加した方々に感謝をしたい。そして、今後もクラウドファンディングを有効活用して、多くの映画を世に送り出して欲しい。 昭和18年12月。祖母の家で海苔作りの手伝いをしていた18歳のすずの元に、呉からすずを嫁にしたいという人がすずの家に来ているとの知らせが入る。祖母から嫁入りの時にと思って直しておいたという着物を渡されたすずは、家へと向かう。その途中、幼馴染の水原に偶然会うすず。すずは、嫁にしたいというのが水原だと思ったが、違っていた。一旦、家に帰ったすずだが、家の中の様子を覗いただけで中には入らず、海を臨む山の中で、どうしたものかと時間を潰していた。そこに、道に迷ったという男2人が現れ、すずは道案内をする。後日、すずを嫁にしたいと、すずの家を訪れていた呉の人から、山の中にいた珍奇な女に案内されて、無事に帰れたとのハガキが届いた。昭和19年2月、結局、すずは呉の北条家に嫁ぐ事になった。 戦時中の広島を舞台にした物語は観なくても、ある程度は想像がつく。もっとも、想像がついても、観る価値は十分にある筈だ。ただ、本作は想像とは少し異なる世界が広がっていると言えるだろう。 本作では当時の人達の暮らしぶりを、他の作品よりも事細かに描いているように感じる。何でも、監督の片渕須直は当時の事を入念に調査し、その日の天候まで確認していたという。本作で感じる現代との違いは明白で、その違いを実感する事は非常に有意義な体験だ。 但し、見知らぬ人と結婚する事になっても、毎日の食事に困っても、空襲が続き、防空壕に頻繁に避難しなければならない状況になっても、不思議と悲壮感はあまりない。それどころか、穏やかに感じてしまうし、所々に笑いさえもある。作中、着物を直す方法や食糧難を乗り切る為の料理のレシピがさらりと紹介されているのだが、ついつい自分でもやってみようかと思ってしまう。こんな事は、他の戦時中を描いた作品では、起こり得ない感情だろう。 戦時中にもかかわらず、穏やかに感じ、笑えてしまう要因は、主人公のすずがのんびりとした性格で、抜けているところが多々あり、尚且つ、夢想癖がある、天然や不思議ちゃんと呼ばれるキャラクターである事に他ならない。そして、すずを囲む人達が総じて優しい事も大きい。唯一、つんけんしているのが、すずの小姑、径子なのだが、径子とて全然悪い人ではない。このような登場人物達が厳しい現実をオブラートに包んでおり、それは、ある意味、現実逃避と言っても良いのだが、厳しい状況ばかりでは人は生きては行けないものだろう。なので、本作で描かれている戦時下の日常は、案外、リアルなのではないかと感じる。 このような作風になったのは、監督の片渕や原作者のこうの史代が戦後生まれである事が少なからず関係しているように感じる。戦争体験をしていない人が戦時中の作品を製作する事は難しい筈だ。だから、綿密な時代考証を重ね、その結果、戦時中でありながらも戦争一色に染まっていない、庶民の生活に辿り着いたのではないだろうか。また、戦争を実体験していないが故に作者自身が戦争とは距離があり、よって、戦時中の出来事をを客観視する事が出来たのではないか。 これらは、あくまでも私の想像でしかないのだが、いずれにせよ、戦時中である事を忘れてしまう事もしばしばある珍しい作品だ。但し、それは物語の中盤まで。中盤以降は、それまでのギャップもあって、戦争の悲痛さをまじまじと感じる事となる。しかし、そこで終わらない事も本作の特色となる。 すずの声を、のんが担当した事も本作の大きなトピックだ。すずのキャラクターは設定の段階で既にかなり奥深いのだが、のんが演じる事で更に奥深くなったと言っても過言ではなく、ひいては、のんあっての本作だと言っても決して過言ではない。のんの豊かな才能を存分に発揮出来る機会が、数多くあって欲しいと切に願う。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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