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宇宙は不思議で溢れている 宇宙空間に浮かぶハンバーガーショップを舞台にした、群像劇。監督の三谷幸喜は脚本も兼任している。 宇宙を舞台にした未来を描いた作品は、戦闘モノ、戦争モノが多い。とりわけ、アニメーション文化が根付いている日本では、その傾向が強い。しかし、本作は、そういった状況を感じさせるシーンは登場するものの、戦闘も戦争も一切ない、完全なコメディーである。 木星と土星の間に位置するスペースコロニー、うず潮と地球を結ぶスペース幹線道路、ルート246666、通称、ギャラクシー街道。その沿道で営業しているハンバーガーショップで、ノアは店主をしていた。ノアは無類のハンバーガー好きなので、ハンバーガーショップの店主というのは、ノアにとって天職だった。ただ、開通して150年も経つギャラクシー街道は閉鎖も検討される程、必要性が疑問視されており、その為、客はまばらであった。また、一緒に働いている妻ノエとの関係もギクシャクしていることから、ノアは仕事を辞めて、地球に帰る決心を固めていた。そんな時、ノアのかつての恋人レイが、アシヌス人の夫と共に来店した。 本作は、あまりにも突飛な作品だ。その理由を紐解けば、まずは絶対未知の未来と、ほぼ未知な宇宙を舞台にしていることが挙げられる。従って本作は、すべて作者である三谷の想像力か生み出されたものなのである。 その三谷は、つまらない日常の些細な出来事でも面白くて、おかしい話に発展させてしまうことができる作家、つまり、想像力が非常に豊かな作家である。ただ、三谷の想像力は従来の作品では、多かれ少なかれ現実という箍がかけられている。しかし、その箍は本作では何もなく、言わば、真っ白な、しかも規格サイズ外のキャンパスが用意されているだけなので、三谷は思うがままに創作することができている。従って、突飛な作品になってしまったのは、当然の成り行きだと言えるのである。 但し、本作の、あまりにも突飛な有様は、観る者を戸惑わせる要因になっているのも事実である。もし、突飛だとしても、アーティスティックな事やヒューマニスティックな事をテーマにしていたら違う感覚が得られた筈だ。しかし本作は、前述したとおり、完全なコメディー。大竹しのぶ曰く「本当に下らなくて、何にもない映画」だそうだ。なので、突飛な印象は深まり、それ故に観る者が戸惑いを覚えてしまうのである。 ただ、三谷の本質に迫れる作品だと言えるだろう。何にも束縛されることなく、自由な発想で紡ぎ出されたのが本作なのだから、本作からは稀代のコメディー作家、三谷のピュアな作家性が感じられる筈である。その点において、特に三谷作品ファンにとっては、とても貴重な作品だと言える。 私としては本作は、カルト臭のある映画だと感じている。実際、本作にカルト映画と呼ばれる程の熱狂的な支持者がいるのかは不明なのだが、本作の前代未聞の独創性はカルト映画の基準を満たしていると考えている。 三谷は同じ俳優を何度も繰り返しキャスティングする傾向があるので、三谷作品には常連の俳優が存在している。主演の香取慎吾も、その一人だ。私は香取にはテレビのバラエティー番組等を見る限り、自由で奔放なイメージがあるのだが、三谷は、そのイメージを封印する役でキャスティングすることがある。三谷作品の常連なのだから、香取は三谷にとって、間違いなく重要な重要な存在なのだろうが、一方で香取にとっても三谷は自分の魅力、可能性を引き出す重要な存在だと言えるだろう。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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