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いくら遠くへ逃げても、いくら忘れても、戻った瞬間、すべてが蘇る ある婦人の忌わしい過去を辿るミステリー。 本作は、ソポクレスのギリシア悲劇「エレクトラ」をベースにしている作品らしい。ただ、あくまでもベースであり、ストーリーの全てをなぞっているのではないようだ。作品タイトルはイタリアの詩人ジャコモ・レオパルディの「追憶」からの引用である。 サンドラとアンドリューの夫婦は、サンドラの亡き父親の栄誉を称える銅像の除幕式に出席する為に、ボルテッラにあるサンドラの実家に帰省した。初めてサンドラの実家に訪れたアンドリューは、豪勢な大屋敷に驚く。だが一方のサンドラは、屋敷に入るなり、浮かない顔を見せるのだった。屋敷はメイドのフォスカが管理しているだけで、サンドラの家族は現在は住んでいない。サンドラにはジャンニという弟がいるのだが、除幕式には出席しない、また、実家には最近ずっと戻っていないとサンドラは聞いていた。しかし、フォスカによるとジャンニは除幕式に出席するし、頻繁に実家に戻っているという。その話を聞いてサンドラは、一層穏やかではいられなくなった。 ミステリーには雛形というものがある事だろう。雛形の最たるは冒頭での殺人事件。何の前触れもなく、冒頭で殺人事件が発生すれば、その時点で物語がミステリーであると宣誓したようなものである。まず結果を提示して、そのプロセスを探り当てる。これは数学の証明問題と同じメカニズムだと言えるだろう。 だが、そのメカニズムにはウィークポイントもあると思う。それは、結果ありきであるので、どうしてもプロセスの描写が結果を求めて直線的になってしまう事、つまり、事件を引き起こす原因となる人間模様の描写に躍動感が感じられない、へたすれば予定調和にさえ感じてしまう事だ。 この見解が物語冒頭に殺人事件を描く、すべてのミステリー作品に当てはまるとは言わない。だが、こういった傾向に陥るミステリー作品は多いのではないかと思う。 本作は、最初に結果を提示する雛形を採用していないミステリーである。型にはまっていない分、無限のスケールを感じさせるのだが、一歩間違えれば何ひとつ収拾がつかなくなる、極めて高難度なミステリーの形式を採った作品なのである。 だが、流石は名匠ルキノ・ヴィスコンティ。独自の、そして確固たる美学を用いて濃厚過ぎるほどの人間ドラマを描き上げ、上質なミステリーを紡ぎ出す事に成功している。 冒頭、故郷ボルテッラへと帰る旅路のシーンが映し出される。道を走るに連れて変化するオープンカー搭乗目線での風景。それは、さながら過去へと向かうタイムマシーンに乗っている気分である。つまり、ボルテッラとは主人公サンドラの過去なのである。 それだけなら、これといって特別な話ではない。故郷に過去があるのは当然であるだろう。だが、サンドラの過去は抹消してしまいたい記憶。つまり、その過去が宿っているボルテッラとは、サンドラにとってのパンドラの箱なのである。 サンドラが帰省すると同時にパンドラの箱は開かれてしまう。もちろんサンドラは、自分がパンドラの箱に何を閉じ込めたのか知っている。しかし、本作を観ている我々は、何が詰め込まれているのか知らない。先行き不明な物語は、そこはかとなく、しかし確実に危険な香りを感じさせながら、スリリングに展開して行く。 サンドラを演じるクラウディア・カルディナーレが素晴らしい。カルディナーレはマリリン・モンロー、ブリジット・バルドーと並ぶ1960年代を代表する女優だという事だが、その意味は本作だけでも理解出来る。多くを物語る、強い眼差しが印象的だ。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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