自分勝手な映画批評
グラディエーター グラディエーター
2000 アメリカ 155分
監督/リドリー・スコット
出演/ラッセル・クロウ ホアキン・フェニックス コニー・ニールセン
西暦180年のゲルマニア。マキシマス将軍(ラッセル・クロウ)が統率するローマ軍は交渉の為に敵に送った使者の帰りを待っていた。

おれの妻と息子は、もう待ってる

帝政ローマ時代を舞台にローマ軍の将軍から剣闘士(グラディエーター)へと図らずも転身した男の生きざまを描いた作品。

私はこの手の作品が苦手である。かなり時を遡った海外の時代モノというのは、馴染みの薄い私にとっては取っ付き難い。また、二時間を優に超える長尺というのも気軽に臨める訳ではないので敬遠したくなる。だが、結論から言えば存分に楽しめる作品だった。この先、改善出来るかどうかは分からないのだが、食わず嫌いは愚かだと実感させられる思いである。





最盛期のローマ帝国は勢力をアフリカの砂漠から英国の北限地域まで伸ばしており、世界の全人口の1/4はローマ皇帝の支配下にあった。西暦180年、ローマ皇帝マルクス・アウレリウスはゲルマニア征服を目前にしていた。この地を得ればローマの勝利は不動となり、帝国全土に念願の平和が訪れる筈。その目論見を胸に、戦闘の末に目前の敵を全滅させる事に成功した。しかし、アウレリウスは敵を倒しても新たな敵が現れるだけだと悟り、流血の繰り返しに空しさを覚え、また、腐敗した現在のローマを憂うのだった。そこでアウレリウスは、本当の息子ではあるのだが歪んだ心を持ったコモドゥスではなく、息子のように可愛がり最も信頼しているローマ軍のマキシマス将軍に自分の没後のローマを任せる事を決意。そしてマキシマスに自分の意志、ローマの実権をローマ市民の手に戻させローマを浄化させる事を託そうとするのだった。





すべてに行き届いた、完成度の高い極上のエンターテインメント作品だと思う。前述した海外の時代モノ、長尺であるが故の懸念は、まったくの杞憂。このジャンルの素人でも十分に理解可能で、こらえ性のない人でも時を忘れて大いに堪能出来る作品だと思う。

まず本作で驚くのはスケールの大きさだ。歴史スペクタクルの超大作の場合にはスケールの大きさは常であるので、ある程度の予想は前もって出来るのだが、それでも本作のスケール感には圧倒される。冒頭から大人数での戦闘シーン。まだ兵器が発達してない時代の生々しくて大掛かりな戦闘シーンは迫力満点。このシーンで一気に心を掴まれる事は請け合いであるだろう。

スケール感を出す為に、おそらく多くのCGが用いられていると思うのだが、中でも一番の功績はコロッセウムの再現だと思う。現在の朽ちたコロッセウムも、それはそれで風情があるのだが、本来の姿を見られる事には大きな感動を覚える。

ストーリーも良い。人間心理を巧みに操り、二転三転する起伏のある展開は実に良く出来ている。但し、ベースには勧善懲悪が確固として存在しているので、揺さぶられはしても安定感は基本的に保たれている。

安定感なんて言ってしてしまうと面白味に欠けるように聞こえそうだが、決してそんな事はない。物語の根底が安定しているからこそ、観る者は物語にのめり込めるのだと思う。安定感とスリルの案配は絶妙であり、本作の最大の特長であると思う。

本作は、基本的には出された豪華なフルコースの食事を味わうがごとく、作り手が提示した創造物を、そのままのカタチで楽しむ作品、つまり、観る者に何かを委ねるのではなく、作中ですべてが完結している完成形を届けた作品ではないかと思う。但し、さりげなく重要なメッセージを投げ掛けているように思う。それは民意についてである。

民意が重要なのは間違いない。しかし、その裏に危うさが潜んでいる事も忘れてはならないだろう。とかく民意や支持率をもてはやす昨今であるが、その現状に一石を投じるような側面を本作は持っていると思う。

第73回アカデミー賞、作品賞、主演男優賞(ラッセル・クロウ)、衣裳デザイン賞、録音賞、視覚効果賞受賞作品。


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