自分勝手な映画批評
今度は愛妻家 今度は愛妻家
2010 日本 131分
監督/行定勲
出演/豊川悦司 薬師丸ひろ子 水川あさみ 濱田岳 石橋蓮司
自室のソファーで寝ていた北見(豊川悦司)の携帯電話が鳴り響く。電話を掛けてきたのは北見が以前にバーで知り合った女性・蘭子(水川あさみ)。蘭子はカメラマンである北見に写真を撮って欲しいと電話してきたのだった。

男って生き物はね、デリケートなのよ

原作は中谷まゆみの戯曲。倦怠期と思われる夫婦を中心とした群像劇を描いた作品。

余程の変わり者でない限り、誰もが後悔しない人生を送りたいと思っているだろう。だが、中々そうは上手くはいかないのが現実だろう。後悔とは常につきまとうものなのかも知れない。自堕落な日常を送っているのならばもちろんだが、いくら懸命に生きていたとしても後悔を感じてしまう人はいるのではないかと思う。残念ながらドラえもんでもいない限り過去を変える事は出来ない。ならば、過去を悔いる想いはどう処理すれば良いのだろうか?

有名なカメラマンの北見。しかしそれはもはや昔の話。ここ一年は仕事をせずに腑抜けた生活を送っていた。ある日、同居する妻のさくらが一人で旅行へと出掛けた。束の間の独身生活を謳歌しようとする浮気者の北見。ただ、さくらは中々旅行から帰ってこなかった。

元々本作は、舞台での演劇の為に書かれたストーリーらしく、実際に本作以前に舞台化されており、言わば本作はその舞台を映画化した作品だと言える。私は、その舞台を見ていないので比較は出来ないのだが、それでも確かに本作は通常の映画とは毛色が違う、舞台演劇のような演出が基本になっているように強く感じる。

少しばかりの場面転換はあるものの、多くの時間で舞台となるのは主人公夫婦の部屋。そんな目先が変わらない状況で顕著になるのは俳優たちの腕前に他ならない。

豊川悦司は決して振り幅の大きい表現者ではないだろう。ただ、豊川の素晴らしいのは少ない振り幅の中でも機微の心情を表現出来るところ、すなわち自分を深く掘り下げて役柄を引き寄せ、役柄に造形を与えられるところだろう。

本作の豊川も表情が豊かだとは言い難い。だが、それでもコメディーを演じられるのは豊川の優秀な技術の表れでであり、また、それが絵になるのは選ばれた俳優である証しなのだと思う。先人、あるいは先を行く偉大な先輩俳優たちを手本に考えると、豊川のこのスタイルは年齢を重ねる程に重宝され、魅力的に映るのではないかと思う。

ヒロインを演じる薬師丸ひろ子も良い。映画界のヒロイン女優として君臨していた薬師丸だが、その場を離れてからは脇に回る事も多くなった。別段、それは悪い事ではないし、多くの女優が歩んだ道なのだと思う。

ただ、薬師丸が偉大なのは、そのキャリアをしっかりと芸の肥やしにしている点である。ずっとヒロインを演じてきたのでは本作の役柄は務まらなかったのではないかと思う。脇役として様々な役柄を演じてきたからこそ、本作でチャーミングなヒロインとして魅力を振り巻けるのだろう。

若いながらも実力派、しかも個性的な二人、水川あさみ、濱田岳の両名もその豊かな才能を存分に発揮して大いに魅せる。物おじする事なく、手足れたベテラン俳優たちに引けを取らない二人の好演は本作の活力であり重要なファクターである。

そして圧巻は石橋蓮司だ。役者魂を見せつけるような怪演は、いくら誉めても誉め過ぎる事にはならないだろう。ある意味、石橋の演技を見るだけでも本作を見る価値はあるのではないかと思う。

そんな俳優たちの熱の籠った演技の応酬で構成される物語が人情劇の様相を呈しているのが心地良く、また面白い。本作の持つスタイリッシュなムードと昔ながらの人情劇はベクトルが違うように思うのだが、人情を現代風にアレンジする事で共存させている。この手腕も実に見事である。

人情を交えつつ、おもしろおかしくコミカルに進んで行く本作。しかし、中盤以降はガラリと一変し、悲しいファンタジーへと変貌する。その衝撃もさることながら、振り返ればしっかりと伏線をちりばめていたストーリー構成と演出は見事であり、してやられた感は爽快感さえも呼び起こす。

作中で頻繁に口ずさまれているのが井上陽水の「夢の中へ」。本作は、この楽曲をベースにしていると言って良いだろう。探し物が見つからない主人公は夢の中へと活路を求める。しかし所詮は夢の中、真の解決策ではないのだ。コメディータッチのまろやかなオブラートに包まれた物語は、身につまされる物語である。


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