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昔からね、手の冷たい人は心が温かいって言うんだよ 原作は業田良家の「ゴーダ哲学堂 空気人形」。ある日突然、心を持った空気人形の日常を描いた作品。 空気人形とは、男性の性欲を満たす為の等身大の人形の事である。そんな人形が主人公である本作は、R−15指定の作品である。そして、その規定が適用されるのも当然だと言わんばかりに、本作の基調となる舞台は、決して犯罪ではないのだが、人間心理の闇、社会生活の裏側を突いた、言わばアンモラルな世界である。 だが、そういった世界をベースにしながらも、心が芽生えた空気人形が牽引する物語は、ピュアな様相を色濃く感じさせながら展開して行く。そもそも人形が心を持つ事自体、ファンタジーであると言えるだろう。そして、いきなり心を持った事によって生じる真新しい世界での喜びや戸惑いは、成人女性の姿はしているが、まるで幼い子のようであり、実に初々しく微笑ましく感じる。 このまま、清らかなファンタジーで終わらせる手もあっただろう。温かみある穏やかな感情を呼び起こす面が多分にある本作を綺麗なカタチでまとめれば、異色ではあるのだが、メルヘン作品として十分成立したであろう。だが本作は、それを善しとはしなかった。それこそが本作の価値だと言えるだろう。 本作は個を強く意識させる作品だ。しかもその個は、非情なまでに残酷な孤独として映し出されている。自分は社会に適合出来ていないと感じている、あるいは、自分は社会には不必要だと感じている人々の寂しく切ない想いは胸が締め付けられる程痛々しい。何故、彼らは疎外感を感じるのか? それはひとえに心を持っているからである。 空気人形を作った人物、すなわち空気人形の親は彼女に問いかける。「君が見た世界は悲しいものだけだった?」。人生の悲喜とは表裏一体、コインの裏表のようなものなのかも知れない。心がなければ傷つく事はない。しかし、心がなければ喜ぶ事も出来ないだろう。 本作の主役であるペ・ドゥナには脱帽である。イノセンスな風合いを巧みに表現し、心を持った空気人形という難しい役を実に可愛らしく演じている。そして惜しみなく何度も裸体を披露している事も高く評価したい。 よく「必然性があるヌード」などという言葉を耳にするが、何をもって必然性があると言えるのか? その規準は曖昧であろう。それは女優個人の感覚なのかも知れないし、作品をトータルで考えた感覚なのかも知れない。 作品をトータルで考えれば、本作のヌードシーンは必然である。そもそも、空気人形の特質を考えればヌードは当然。さらにはヌードシーンがあるからこそ、社会生活の裏側の赤裸々な日常を描いた本作に、ある種のリアリティーが生み出されたと言えるだろう。だが、女優個人の立場になって考えると、いささか疑問である。ヌードシーンがなければ、しかも何度も描かれなければ本作は本当に成立しないのだろうか? しかしペ・ドゥナは、潔く脱ぎ、体当たりで役柄に没頭している。本作で魅せる可愛らしい容姿と演技とは裏腹な、ペ・ドゥナの力強い女優魂がひしひしと伝わってくる。 冒頭のゴミ置き場の描写をはじめ、ストーリーの中に多数の伏線をちりばめ、それらを意味あるカタチでしっかりと収穫していく手法と手腕は実に見事で感心させられる。設定が設定だけに観る者を選ぶ作品なのかも知れない。しかし内容、そして技量を考えると、かなりの完成度を誇る作品ではないかと思う。 |
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