自分勝手な映画批評
ゴッドファーザーPARTIII ゴッドファーザーPARTIII
1990 アメリカ 162分
監督/フランシス・フォード・コッポラ
出演/アル・パチーノ アンディ・ガルシア ダイアン・キートン
1979年、ニューヨーク。マイケル(アル・パチーノ)は慈善活動が認められ、ローマ法王より「法王の名誉」が授与される。そのパーティーにビンセント(アンディ・ガルシア)が顔を出すのだが…

ドン・コルレオーネの総括

前作から16年後に製作・公開されたシリーズ第3弾。物語も前作より20年余り後の1979年を舞台にしている。

もはやマフィアのドンとしてではなく、社会的地位を得た名士としてのマイケルの姿、最初から目論んでいたかは不明だが、結果として上り詰める手段として活用した裏稼業から足を洗いたい彼の姿が描かれている。

そんなマイケルの苦悩の表れでもあるのだが、過去を振り返るシーンが多いのも本作の特徴ではないかと思う。それは、あらゆる意味での終焉を感じさせる。

ゴッドファーザーにはシリーズを通した不文律が存在する。それは、1作品に2人の主役が存在する事。そして、表の華やかな催しと同時進行する裏の出来事、言わば「光と影」の描写が存在する事だ。

本作にも2人の主役が存在する。アル・パチーノの演じるシリーズを通じての主役マイケルと、彼の兄ソニーの息子、アンディ・ガルシア演じるビンセントだ。

ただ、ビンセントは主役と呼ぶには、前2作に比べると、少し弱いのかも知れない。だが、守りに入るマイケルと血気盛んなビンセントとの対比は、前2作でのマイケルと父ビトーとの対比より、立場は逆転しているのだが、コントラストは大きくなっている。

もう1つの不文律である「光と影」は、社会の表と裏を意識させたメッセージともとれる、シリーズの肝となる描写だ。

その「光と影」の構図を用いたクライマックスのオペラのシーンは、シリーズのラストに相応しい集大成とも言える優れた名シーンに仕上がっている。厳かなオペラの歌声が響き渡る中での、人としてあるまじき思いと行為。美しい描写と悲しい出来事を描いた本シリーズを高レベルで象徴している。

また、本作では前作と同様に、史実とストーリーをリンクさせる手法が用いられている。前作がある意味スパイス程度だったのに対し、本作ではがっちり本筋として用いられている。

あくまでもフィクションであり、事実に即しているとは思わないのだが、宗教絡みの、言わばデリケートでアンタッチャブルな世界への介入は、悪趣味で不謹慎な物言いかも知れないが、実にスリリングに感じられる。

もう1つポイントになるのが、マイケルの子供達の存在だ。特にソフィア・コッポラ演じるメアリーは作中のひとつのキーとなる。

そのメアリーとマイケルの妹でタリア・シャイア演じるコニーのキャラクターが似ているのが、コルレオーネ家の女性の気質のようで面白い。そもそも、ソフィア・コッポラとタリア・シャイアは実生活でも親戚同士であり、その点を、結果的にではあるのかも知れないが、上手く活用出来ているように思う。

本作をもってシリーズは終了する。シリーズ3作品とも上映時間が長く、ストーリーも決して爽快ではない。難解ではないのだが、気軽に感じられる作品群ではないので、鑑賞に臨むハードルは必ずしも低くないのかも知れない。

だが、3作通じて、移り行く世情、移り行く人情の中での、頂点に立つ寂しい男の生きざまは、大河ドラマとして大変見応えがある。しかも、物語の推移ばかりではなく、宗教や人種の問題等からなる背景もしっかりと絡ませている点も物語に深みを与えている。一般的な世間の評価も納得出来る不朽の名作シリーズではないかと思う。


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