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サクはね、夢を見せてくれるの 健気に夫を支えてきたのだがガンに侵されてしまった妻と、その妻を元気づけようと妻だけに読ませる為の短い小説を毎日欠かさずに書き続けた夫の日々を描いた作品。 本作はSF作家の眉村卓と妻との間の実話を元にした物語である。ちょっと記憶が定かではないのだが、私はテレビ番組の1コーナーか何かで実際の模様を取り上げたドキュメントを見た覚えがある。但し、本作はドキュメンタリータッチの作品ではない。おそらくではあるが、多分に脚色が施されており、作風としてはファンタジーと呼べるような作品に仕上がっている。 SF作家の朔太郎は、周りの事が目に入らない程に仕事、つまりSFの事ばかりに没頭する夢見がちで風変わりな人間。そんな朔太郎を妻の節子は理解しており、二人は仲睦まじい夫婦関係を築いていた。ある日、節子は気分が悪くなり倒れてしまう。体調不良の原因は妊娠だと思っていたのだが、病院で検査をすると妊娠はしておらず、大腸に腫瘍が見つかった。腫瘍は悪性の進行ガン。手術はしたのだが転移しており、すべては取り除けなかった。担当医から病状の説明を受けた朔太郎は、節子の余命が1年未満だと宣告されてしまう。翌日、朔太郎は節子にガンである事も含め、細かく病状の説明をする。しかし、余命の事は話さずに必ず治ると言うのだった。節子を失いたくない朔太郎は、節子の為に何かしたいと考える。しかし、何をして良いものなのか、中々思い浮かばずに悩んでいた。だが、「笑う事で免疫力が上がる事がある」と担当医から聞かされていた事を思い出す。朔太郎は節子の回復を願い、節子を楽しませる為に、毎日3枚以上、日記やエッセイではなく笑える小説を書く事を誓うのだった。 言うまでもなく本作の軸となるのは、朔太郎が節子の為だけに毎日小説を書くという美談である。何も小説を毎日送る事だけが最上級の愛情表現だとは思わないのだが、それにしても、例え短いといえど妻の為だけに毎日小説を書く事など私なんぞにはどう考えても真似の出来ない、それ以前に思いつく事さえないだろう芸当であり、ただただ脱帽である。しかも、これが実話であるのが凄いところである。 但し本作では、この美談を朔太郎の愛情や熱意、行動力だけでは成立させてはいない。この美談は節子の愛情があるからこそ成立するのである。相手を思って行動を起こすのも愛情なら、それを受け入れるのも愛情であるだろう。本作は、そのような情の深さが基調となっている。そして、それは主人公の夫婦だけではなく、二人を取り巻く周りの人間も同じである。多くの優しさが積み重ねられている本作は、温かさで満ち溢れている。 以上の事柄だけでも、もはやファンタジーの粋に達していると思うのだが、本作は、前述のとおり脚色がファンタジーなのである。よって物語に輪をかけてファンタジー色を強めている。このような作風に至ったのは、本作がテレビドラマ「僕の生きる道」から始まる「僕シリーズ」のひとつに数えられる作品であり、監督が星護である事に起因するのだと考えられる。 三部作で構成されるテレビドラマの「僕シリーズ」は、それぞれに違うテーマを掲げた、それぞれ違う物語である。その中の第一作目である「僕の生きる道」は本作と非常に良く似た資質を持った作品だ。死がテーマである事が、まずは重要な共通点として挙げられるのだが、その事以上に作品のムード、ファンタジーで彩る脚色の手法とその加減が本作と酷似している。その「僕の生きる道」でメインの演出を担当したのが星護であり、おそらく「僕の生きる道」をファンタジーへと舵切りしたのは星護ではないかと推測するのである。 究極の痛みである死を、本来ならばメルヘンチックなファンタジーで脚色すべきではないだろう。しかし「僕の生きる道」は、そうする事で別次元の感情、高尚で高貴な感情を呼び起こさせた。絶望の淵にいながらも不思議と前向きな気持ちになれる作品。物悲しくも美しさの極みに到達させた作品。「僕の生きる道」は、私にとって随分と心を動かされた作品であった。 「僕の生きる道」のように死とファンタジーを共存させた本作。但し、根本的に異なる部分がある。それは「僕の生きる道」は死が動かざる絶対条件であったのに対し、本作はそうではない事。すなわち、死を認め、いかにして余生を充実させようかというのが「僕の生きる道」ならば、いかにして死を回避させようかとしているのが本作だという事である。 その相違は、共通している筈のファンタジーも似て異なるものとした。「僕の生きる道」は物語自体をそのままファンタジーへと昇華させた。つまり物語の趣旨と脚色が著しく同調しているのである。しかし本作でのファンタジーは、あくまでも物語の中の夢なのである。夢はいつかは醒めてしまう。つまり本作は、すべてがファンタジーで覆われている訳ではないのだ。 本作のハイライトは、そのファンタジーから目醒めた部分であるだろう。目醒めて直面するのは、辛く苦々しい現実、理路整然としない生々しい人間の本能。それ故にダイレクトに、且つ痛烈に心をえぐってくる。抑圧し、自らを律した「僕の生きる道」には奥床しい素晴らしさがあったが、本作には、それとは違った見応えが存在している。 振り幅の大きい不思議な作品を体現しているのが草なぎ剛である。草なぎの演技巧者振りは多くの作品で体感出来るのだが、本作も多分に漏れる事はない。草なぎの持ち味である透き通るような清らかな演技は本作でも存分に堪能出来る。 竹内結子も良い。病床で衰弱する一方の役柄なのだが、ヒロインの輝きは絶やさない。竹内も草なぎと同様に本作の趣旨に相応しい、本作には欠かせないキャストだと言えるだろう。 「僕シリーズ」は物語に共通性はないのだが、キャストやスタッフには共通性がある。本作を含めたシリーズでのキャストの皆勤賞は、草なぎ剛、大杉漣、小日向文世、浅野和之である。中には無理矢理に本作に登場させたように感じるキャストもいるのだが、それでもシリーズのファンには嬉しい事だろう。また、ところどころにシリーズの以前の作品を匂わせる描写が出てくるのもファン心理をくすぐるところであるだろう。 ただ、残念なのは、テレビドラマ三作すべての脚本を手掛けた橋部敦子が本作には参加していない事だ。橋部の発想が豊かで、且つ丁寧な脚本がシリーズの要だと思っているシリーズファンの私としては、橋部の言葉で描かれた本作を出来れば見たかったと思う。だが、橋部脚本ではないからといって本作のクオリティーが低下している訳ではない。「僕シリーズ」の名に相応しいクオリティーは立派に保守されていると思う。 |
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