自分勝手な映画批評
プリティ・プリンセス プリティ・プリンセス
2001 アメリカ 115分
監督/ゲイリー・マーシャル
出演/アン・ハサウェイ ジュリー・アンドリュース ヘザー・マタラッツォ
サンフランシスコの朝の街を白バイに先導されたリムジンが通り抜ける。その頃、その日に学校で苦手なスピーチをしなければならない女子高生のミア(アン・ハサウェイ)は不安な気持ちを抱えながら学校へと向かって行った。

リヒテンシュタインの親せきに似てる

原作はメグ・キャボットの小説「プリンセス・ダイアリー」。ある日突然、自分がヨーロッパのある国のプリンセスだと知らされた女子高生の物語。

童話「シンデレラ」を起源とするような、いわゆるシンデレラストーリーは数多くあるが、本作もその内のひとつ。意地悪く言えば、手を替え品を替え、よくもまぁ次から次へと似たような物語が出てくるものだと思うのだが、それだけ多くの人が待ち望む、需要があるジャンルなのだろう。それは同時に、群雄が割拠しているレベルの高いジャンル、すなわち優秀でなければ生き残れない過酷なジャンルだという事にもなるだろう。

主人公のミアは母と二人でサンフランシスコに暮らす、地味でパッとしない女子高生。母と離婚をした父は、すでに亡くなっている。ある日ミアは、ヨーロッパのジェノヴィアという国に暮らす亡き父の母、ミアにとっては祖母にあたる人がサンフランシスコに来ていてミアに会いたがっていると母から聞かされる。あまり乗り気ではなかったのだが、祖母に会いに行くミア。訪ねた先は、使用人が多く居る大層な豪邸。そこはジェノヴィア領事館であった。今まで何も知らされていなかったミアは、そこで驚くべき事実を知る事となる。祖母はジェノヴィアの女王であり、亡くなった父は皇太子。その血を引くミアは、父亡き後の王位継承者、ジェノヴィアのプリンセスだったのだ。

「シンデレラ」を手本とする作品は恋愛を柱としている場合が多勢であるだろう。本作にも恋愛要素がない訳ではない。だが、何よりも重きに置いているのは主人公の成長である。

自分がプリンセスだと知った時から地味で自信のなかった少女に変化が生まれ始める。状況が一変し洗練され、一気に注目を浴びるようになる少女。だが本当の変化はそこではない。もっと深いところ、プリンセスという立場の重圧が少女の意識を変えるのである。

プリンセスになる為には、その重圧を背負えるだけの人間、すなわち大人に成長しなければならない。少女の目の前にあるシンデレラの階段ならぬプリンセスの階段は、大人へと成長する階段でもある。

このダブルミーニング的な設定のセンスは非常に上手く、感心させられる。そして、こういったセンスが作品全体を包んでいるからこそ、本作が華々しく咲き誇っているのだと思う。

本作の作風は大きくコメディーに傾いている。とにかく小ネタが満載。しかし、ともすればやり過ぎになりそうなところをギリギリのラインで踏み止めている。この絶妙なさじ加減もセンスであろうし、だからこそ多くの笑いを引き起こしているように思う。

また、登場人物が多いのも本作の特徴だ。登場人物が多いと観ていて収拾がつかなくなる場合が多いのだが、その心配は本作にはない。それぞれにキャラクターの違いをハッキリと与え、しかも見せ場もちゃんと用意している。決して長時間とは言えない作品に、しっかりと色の付いた登場人物を多く詰め込めるのは奇跡のようであり、これまたセンスの表れだと言えるだろう。

作中のニュープリンセスの誕生と実際のニューヒロインの誕生が見事なまでにシンクロしているのが本作である。本作は主人公ミアを演じたアン・ハサウェイが映画デビューした作品らしい。後の彼女の活躍は今さら言及するまでもないのだが、デビュー作ですでに完成度の高い演技を披露しているのには驚愕させられる。

シンデレラストーリーの見どころだと言えるだろう、まるで蛹(さなぎ)から蝶へと変貌するかのように劇的に変化する有り様を魅せるだけでも十分合格点なのだが、コメディアンヌとしての要求にも彼女は十二分に答えている。新人とは思えぬ技量には、ただただ脱帽である。


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