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歌でも楽器でも、この気持ちは表せない パリを舞台に、売れないアメリカ人画家と若いフランス人との恋愛を描いたミュージカル。 深浅の違いはあるにせよ、多くの日本人はパリを魅力ある憧れの街だと感じているのではないかと思うのだが、どうやらその想いはアメリカ人も同じのようだ。本作の芯を見極めれば、舞台がパリである必要性はない。そこで浮かび上がってくるのは芸術の都パリへの憧憬。ただやはり、パリを舞台とした事で本作の華やかさが一層高まったのは間違いないだろう。 パリで画家をしているアメリカ人のジェリーは日々の生活に困る程、経済的に困窮しているのだが、仲間や街の人たちと楽しく過ごしていた。ある日、ジェリーが街角で自分の絵を売っていると、富豪の女性ミロに気に入られ、ミロからスポンサーになるとの申し出を受けた。ミロはジェリーの絵だけではなくジェリー自身に興味を持っていたのだが、ジェリーはミロと訪れた酒場で若くて可愛らしい女性リズを見かけ、心を奪われてしまう。 訪れる悲喜を軽妙で明快に見せるストーリーと演出は優秀。ただ、やはり本作の見どころはミュージカルシーンであると言えるだろう。 ミュージカル作品を敬遠する人もいるのではないかと思う。その最たる理由は、日常生活を鑑みて、いきなり歌い出し踊り出す不自然さではないかと思う。 だが、その懸念は本作では多少なりとも解消されているように思う。その根拠のひとつはキャスティング。主人公は画家であるのだが、彼の友達として音楽家が控えている。この事により音楽が溢れる日常を正当化していると言えるだろう。 そしてドラマからミュージカルへの移行も比較的スムーズであると言えるだろう。すべてではないのだが、会話が弾み、テンションが上がり歌い出し、そして踊り出すといった手法を本作ではとっている。それも不自然であると感じるのかも知れないが、その経緯は理解出来るのではないかと思う。 そして何より、歌い踊る姿が楽しそうである事が、変な違和感を凌駕しているように思う。逆の方向から論ずれば、歌い踊る姿が楽しそうであるからこそ、テンションが上がってそこに至るというプロセスが納得出来るのだと言えよう。 ジーン・ケリーは実に楽しそうに歌い踊る。健康的な肉体が表現するダイナミックなパフォーマンスは、コミカルかつパワフルな躍動感に溢れ、観る者に元気と喜びを伝達する。 本作で特徴的なのは、クライマックスの15分以上に渡るダンスシーンである。このシーンは明らかに異質。先に私の述べたミュージカルとドラマの関係性を正直言って台無しにし、ストーリーの流れを妨げている。 だが、ここまで完璧な創造世界を見せつけられては、感服するほかないだろう。このシーンだけでひとつの作品として捉えても良い位の出来であり、大変価値のあるシーンであると思う。 軽快に響き渡るジョージ・ガーシュウィンの楽曲「パリのアメリカ人」が爽やかな高揚感をもたらす。主人公の友人役を演じるオスカー・レヴァントのとぼけた味も良い。 第24回アカデミー賞、作品賞・脚本賞・撮影賞(カラー)・美術賞(カラー)・衣装デザイン賞(カラー)・作曲賞(ミュージカル)受賞作品。 |
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