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30年待ってたのよ、30年も 落ちぶれた元天才指揮者が企てる、壮大な計画を描いた作品。 大人になると嗜好は随分と変わるものだ。子供の頃には苦いとしか思えなかったブラックコーヒーを自然と体が欲し、嫌いだったナスやシイタケが美味しく感じられるようになった。音楽も同じ。ジジィ・ババァの為のものだと思っていた演歌が、いつの間にか心に染み入ってくる。 クラシック音楽もそうだ。クラシックなんてブルジョアな気取った音楽だと思っていたのだが、やたらと最近、感動を覚える。もっとも全然詳しくないので、曲名すらあやふやなのだが。 本作は作品タイトルが示すとおり、クラシック音楽を題材にした作品である。とは言っても、肩肘張るような作品ではない。私以上にクラシックの知識がない人でも存分に楽しめる作品である。 かつてはボリショイ管弦楽団の指揮者として名声を得ていたアンドレイだが、30年前、ある事件をきっかけに楽団を追われ、今はボリショイ劇場の清掃員として働いていた。ある日、アンドレイがボリショイ劇場の支配人の部屋を掃除していると、1通のファックスが届いた。それはパリのシャトレ座からボリショイ管弦楽団への公演依頼のファックス。アンドレイはファックスの履歴を消去し、プリントされたファックスを無断で持ち去った。アンドレイは、かつての仲間たちを集めて楽団を組み、ボリショイ管弦楽団に成り済ましてシャトレ座で公演しようと考えたのだ。 本作は断然コメディー色が強い作品である。但し、脳天気に笑うような馬鹿騒ぎとはひと味違う。かなり際どいエスニックジョークが満載されており、シニカルな視点で時事を笑い飛ばすブラックなコメディーなのである。 注目したいのは、そのシニカルな視点が作品の絶対的な基本スピリッツである点だ。一見するとブラックなユーモアは、オーソドックスなストーリーを賑やかす為の装飾のように感じるのだが、決してそうではない。そもそも現在と旧体制下での概念の違いがストーリーの源流。つまり旧体制への問題意識がなければストーリーは出発しないのだ。 そのストーリーに世界中から掻き集められた諸問題が更に上に塗りたくられる。但し、正攻法で考えさせるのではない。あくまでもシニカルな視点を用い、ユーモアに変換して描き出しているのである。この試み、そして実現力は本当に見事である。 クライマックスのオーケストラの演奏シーンも大きな見どころとなる。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が荘厳に奏でられる、およそ12分間にも及ぶこのシーンは、クライマックスに相応しい高揚感があり、加えて、それまでのブラックな笑いが全て洗い落とされるような清涼感、爽快感がある。 よく「スポーツや芸術に国境はない」と聞く。その言葉の意味と必ずしも合致するとは言えないかも知れないが、通じるものは本作から感じる事が出来るだろう。全てを超越し、全てを御破算にしてしまう程のパワーを持っているのが音楽。そんなパワーのスケールを本作は上手く具現化している。 軽妙に笑いを誘発し、周到に涙を導き出す。更にはインテリジェンスをも感じさせる本作は、中々の秀作だと思う。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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