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若き詩人の誕生だ、だが文法も、ろくに知らん 学校でも家庭でも問題を起こし、疎外されてしまう少年の姿を描いた作品。 本作はフランソワ・トリュフォーの初の長篇監督作品であり、ヌーヴェルヴァーグを代表する1本として挙げられる作品である。また、後に20年に渡って本作も含めて合計5本製作された「アントワーヌ・ドワネル」シリーズの1本目となる作品でもある。 アントワーヌは学校では問題が多く教師に目をつけられ、家では厳しい母親に事あるごとに口うるさくされる少年。そんな毎日にアントワーヌは、そこはかとない鬱憤を募らせていた。ある日アントワーヌは、悪友のルネと一緒に学校をサボって街に繰り出した。そこでアントワーヌは、母親が見知らぬ男とキスしている場面に遭遇するのだった。 少年が主人公の本作はトリュフォーの自伝的な作品だと言われているが、詳しい事を知らない私には1950年代版の「トム・ソーヤーの冒険」のように感じられた。そう至るのは、主人公が仕掛ける悪戯という名のワクワクする冒険の数々はもちろんの事なのだが、トム・ソーヤーと本作の主人公アントワーヌ・ドワネルが共通して、少年でありながらも甘えがあまり見当たらず、自立心が強いように感じられるからだ。 トムは親がおらず、叔母に育てられた。アントワーヌは複雑な親子関係で育てられている。こういった背景が自立心という共通点を生み出しているのだと思う。 但し、決定的な違いがある。それは「トム・ソーヤーの冒険」では爽快感を得られたのに対し、本作ではどこか後味の悪さを感じてしまう点である。それは物語の根底に愛が存在するか、しないかの違い。本作は決定的に愛が欠落している。 それは舞台となる時代の違い、19世紀のセント・ピーターズバーグと20世紀半ばのフランスとの違いが影響しているように思う。単純に懐古主義を唱えている訳ではない。ただ、時の経過は喜ばしい進化や発展を作り出している一方で、悩ましい負の産物も作り出しているのは事実。その手付かずの負の産物が、爽やかな少年の冒険を残酷に汚してしまっているように感じる。 とは言っても、少年の冒険物語であるのには変わりない。むしろ、ある意味では冒険色は強いと言えるのかも知れない。時代と逆行するかのようにセント・ピーターズバーグよりも荒廃した世の中を一人で歩くには、強い脚力と精神力がなければならない。その姿こそが本作を描いた価値であるだろう。アントワーヌはトム程の英雄ではないのかも知れない。しかし、トム以上の勇敢な戦士であるように思う。 古い作品でありながらも色褪せず、現代の感覚でも遜色のない完成度の高さには驚嘆する。特に作品全体から滲み出る躍動感、臨場感は素晴らしい。 歴史的名作との誉れの高い本作だが、そんな事は関係なく、純粋に向き合っても十二分に堪能出来る作品だと思う。もっとも、そうであるからこそ歴史的名作との誉れを獲得出来たのだろう。 |
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★前田有一の超映画批評★ |
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