自分勝手な映画批評
生きる 生きる
1952 日本 143分
監督/黒澤明
出演/志村喬 金子信雄 伊藤雄之助 小田切みき
主婦たちが役所の市民課に下水で出来た水たまりを埋めて公園を作って欲しいと陳情に行くのだが、市民課長の渡辺(志村喬)は、土木課に回すように指示をする。主婦たちは、これを皮切りに、ありとあらゆる部署をたらい回しにされる。

いのち短し、恋せよ乙女

余命を悟った男の姿を描いた作品。心情を中心に描きながらも、風刺をきかせたメッセージ性の強い内容となっている。

自分の命の限りを知った時、人はどうなるのか? 決して真新しいテーマではない。むしろ多くの人が考える永遠のテーマなのかも知れない。本作は、そんなショッキングな出来事を糸口として、生きる事の意味を観る者に問いかけてくる。

残念ながら、死は誰にでも訪れる。忘れがちになってしまいそうだが、死があるから生がある。その事ばかりに気をとられていては、精神を圧迫してしまうのかも知れない。だが、明日が来る事を当たり前とし、今日を疎かにしているのだとすれば、それはあまりにも愚かであろう。

問題はその点ばかりではない。その愚かさに、死に直面しないと気付かないのではないかという事だ。そんな事でもないと、自分の人生にしっかりと向き合えないのだろうか? 誰もが後悔しない人生を送りたいと思っているのではないかと思う。だが、いくら懸命に生きていたとしても後悔はつきものなのかも知れない。ただ、それにしても、本作のような内容を見せつけられると、怠け者の私にとっては、何とも身につまされる思いである。

物語は、主人公の心境の移り変わりを丹念に追って行く。限られた時間を意識させた上で、時間を使ってじっくりと描く描き方は大変意味深い。しかも、その描写の形態は、まるでロードムービーを観ているようである。自分の人生とは何か? 余命を知った時点から始まる心の変動は、まさに心の旅であると言えるだろう。

後半は主人公不在で物語は進む。この異常事態も本作の特徴であり、ユニークな手法がとられているが、これも本作が掲げたメッセージなのであろう。と言うよりも、それまで描いてきたテーマを、さらに念入りに、あるいは念を押して、違う角度ではあるが重複して描いていると言えるのかも知れない。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。所詮、いつまでたっても対岸の火事なのかも知れない。火事場の馬鹿力は火事場でしか発揮されない。しかし、それでは、やはり情けないと言わざるを得ないだろう。

本サイトの趣旨から逸脱するのだが、テレビドラマ「僕の生きる道」についても言及したい。本作へのオマージュを強く感じさせるブランコのシーンが登場するこのドラマは、本作が念頭にあったと考えられる。

基本的には本作と同じテーマではあるのだが、単に設定を変え、現代風にアレンジしているのではなく、少々異なる方向性で描いている事により、本作とは違う感動を呼び起こさせる。橋部敦子の言葉を選んだ丁寧な脚本は実に素晴らしく、また、その脚本と幻想的な演出、主演の草なぎ剛の無垢な演技により、重いテーマでありながらファンタジーのような不思議な風合いを感じさせるドラマになっている。

このドラマが、本作と決定的に異なるのは、恋愛要素が大きな比重を占めている点だ。死ぬと分かっている男を愛する女と、死ぬと分かっているのに女を愛する男が繰り広げる、切なくも美しいラブストーリー。泣かないみどり先生に涙。


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