自分勝手な映画批評
アニー・ホール アニー・ホール
1977 アメリカ 93分
監督/ウディ・アレン
出演/ウディ・アレン ダイアン・キートン

甘く切ない喜劇

コメディアンと若き女性との恋愛物語。

私はウディ・アレンとチャーリー・チャップリンにどこか同じような雰囲気を感じてしまう。主にサイレント映画で活躍したチャップリンが動作で魅せるのに対しウディ・アレンはマシンガンのような言葉数。スタイルは対照的だが、小柄な背丈が醸し出すリズミカルなコミカルさとシリアスだったり哀愁だったりする表情が逆にユーモラスに見えてしまうコメディアン然とした演技が同じように感じてしまう要因なのかもしれない。

チャップリンが山高帽にちっちゃな上着、ダボダボズボンに大きな靴なら、ウディ・アレンはメガネに大きな鼻に頼りない頭髪。外見的にパブリックイメージを持たれている点でも共通するが、チャップリンが扮装なのに対しウディ・アレンは生だ。チャップリンが道化を演じているのは容易く理解できても、ウディ・アレンは素でないかと錯覚してしまう。でも、それは良い効果だと言えよう。

ウディ・アレンが演じるアルビー・シンガーは神経質で減らず口なインテリ気取り。まさに頼りなさげな彼の風貌と実にマッチしている。こう書くとちょっと嫌な奴に感じるが、これもウディ・アレンが演じたせいで実にチャーミングに映る。素顔よりも道化姿の方が知られているチャップリンは、そのイメージを作品を通じて世間に植え付けた。チャップリンはあのスタイルなのだ。素顔のウディ・アレンがどういった人物かは知らないのだが、同じように作品を通じてウディ・アレンのイメージを植え付けたと言えよう。ウディ・アレンがアルビー・シンガーのような人物だったら… まぁちょっと面倒臭い気もするが私は嬉しいだろう。

内容自体も素晴らしい。幾度か入る非現実なシーンも、ちょっと変な言い方だが、不自然でなく本作の大きな特徴のひとつとなっている。そしてダイアン・キートン。彼女は輝く太陽のように、瑞々しい果実のように魅力的である。神経質なウディ・アレンと脳天気なダイアン・キートン。このコントラストが本作の肝であり、2人の噛み合いそうで噛み合わない関係が可笑しい。


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