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アカデミーが認めた日本の心 人間の死を、ある意味、斜からユニークに、ある意味、真正面からしっかりと描いた作品。主演の本木雅弘が青木新門の「納棺夫日記」に感銘を受け、本木の働きかけにより映画化された作品らしい。但し、青木新門の意向により「納棺夫日記」は本作の原作の扱いにはなっていない。脚本はテレビ番組「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」等を手掛けた小山薫堂。本作は第81回アカデミー賞外国語映画賞受賞作品。これは邦画史上初の快挙である。 私なりに考えるアカデミー賞受賞の勝因は、意地悪な見解であるのだが、細かな演技や演出を含めた映画の完成度というよりも、日本人の死生観とそれに伴う日本の儀式をコンセプトにした点だと思う。おそらく多くは日本に精通していないであろうアカデミー会員の目には異国の風習は新鮮に映ったであろう。ましてや死という神聖なテーマ。自国では目にしない日本人の死を弔うあり方が外国人の心に届いたのではないかと思う。加えて本作での納棺師の仕事振りは、不謹慎な言い方ではあるが、美しい神秘的な作法に見えたのかもしれない。随分と意地悪な意見を示したが、本作が日本でも多くの映画賞を受賞している事実をおざなりにするつもりはない。日本の識者たちは、しっかりと映画作品として評価したのだと思う。 日本人にとって死の儀式はめずらしいことではないと思うが、納棺師という職業はめずらしく感じられるのではないかと思う。死は悲しい。しかし近親者、あるいは知人の死と、そうでない人の死とでは悲しみの大きさは異なる。それは故人の生前を知っているか否かという点が大きいと思う。納棺師が故人と初めて対面するのは、多くは亡くなった後である。となれば生前の故人を知る由もなく、何ら所縁もない。そんな人が見知らぬ故人の旅立つ準備を手厚く手伝ってくれたのであれば、故人を愛する近親者や知人は彼らに感謝し感激するのだと思う。納棺師は職業だ。だが、死を弔う仕事を真摯な意識と態度で望んでいるのであれば、尊敬に値する職業であり、胸を張れる誇りある職業なのだと思う。 本来は思いがあるからこその行動でも、時の経過と共に風化し、マナーと呼ばれるような作法のみ重要になってしまう場合がある。またモラルや道徳という言葉で片付けられてしまう場合もある。何故そういう行動をとるのか? そこにどんな思いがあるのか? 日本人にとっても気付かされる作品なのかもしれない。 個人的には本木雅弘の魅力はエキセントリックな演技だと思う。その観点から言えば、本作は役不足というか魅力を出し切れていないと思う。しかし、それでも主役の大悟をしっかりと演じるのは彼の役者としての懐の深さ・引き出しの多さと役に取り組む真摯な姿勢であろう。真摯な姿勢は端的にチェロの演奏に現れている。実際に出ている音は別にして、弓使い、指使い、ビブラートと実際に弾いているのであろう。そして様にもなっている。 逆に、はまってるのが山崎努。この人の場合、役に合わせて変化するというより自分の個性を役にはめ込むタイプだと思うので、どんな役でも当てはまるとは思うのだが。それにしても存在感は絶大。肝が据わった怪しさは彼ならではだ。本作での零細企業の社長役は庶民的なリアリティを感じさせる。 |
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