自分勝手な映画批評
野獣の青春 野獣の青春
1963 日本 92分
監督/鈴木清順
出演/宍戸錠 江角英明 小林昭二 川地民夫 渡辺美佐子
連れ込み旅館の一室で男女1組の死体が発見された。残された女の遺書から無理心中である事、男の所持品から男が刑事である事が分かった。

何でもアイツの親は…

元刑事が裏社会に潜入し、奮闘する姿を描いた作品。原作は大藪春彦の小説「人狩り」。

作中、開花している桜の並木道が映し出されるシーンがある。そのシーンで描かれている内容とは似つかわしくないとも思えるのだが、監督の鈴木清順は桜に愛着があるようなので、こだわりをもって登場させたのかも知れない。

まぁ、それはそれで良いのだが、私は作品内容とは関係ない点で興味を持った。調べてみると、本作の公開は1963年4月21日。そして1963年の東京の桜(ソメイヨシノ)の開花日は4月1日で、満開日は4月6日なのだ。

庶民の娯楽の中心がテレビになる前、プログラムピクチャーの時代の映画は矢継ぎ早に製作・公開されていたので、そのシーンが公開の1年前に撮影されていたとは考えにくい。よって、撮影後、すぐさま公開されたという事になるのだが、いくら矢継ぎ早に公開されていたからといって、まさか、これ程までに急ピッチで公開に取り付けているとは思わなかった。





街角で、パチンコ屋でチンピラを袋叩きにしたジョーはナイトクラブに訪れ、ホステスを大勢侍らせて豪勢に酒を飲んでいた。だが、ホステスの洋服の背中に氷を落とし入れるという悪行を働き、退店を命じられる。会計の場に連れて行かれたジョーだが、金を持っていない。なので今度は、ナイトクラブの事務室に連行される。痛めつけられる筈だったジョーだが、逆に相手を痛めつけ、事務室を制圧してしまう。ジョーが袋叩きにしたチンピラは野本興業の下っ端であり、このナイトクラブは野本興業の経営。ジョーは、わざと野本興業相手にトラブルを起こし、自分の腕を見せつけ、野本興業に雇ってもらおうとしていたのだ。その目論見はまんまと成功し、野本興業の一員になるべく、ボスに会いに行く事になった。





清順監督が本作の1作前にメガホンをとったのが、本作よりも約3カ月前に公開された「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」だ。本作と「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」では監督が同じだけではなく、原作者も主演俳優も同じ、そして大藪小説を原作にしている常、ハードボイルドな物語という点も共通している。

このように作品の骨格を共有している訳だから、本作と「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」は人間に置き換えれば兄弟、否、公開時期が近いので双子のような関係になっても良い筈なのだが、面白い事に、まったく作風は異なっている。「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」は多分にコメディー要素が用いられているのに対し、本作にはコメディーの欠片すらなく、シリアスに徹しているのである。

この違いは、どうして生じたのか。それが知りたくて私は清順がインタビュー形式で自身が監督をした全作品を語っている「清/順/映/画」なる本を読んでみたのだが、期待した答えは見つからなかった。ただ、清順が語った事を私なりに要約すると、当時の日活アクション作品はストーリーがシンプルであり、それ故に味付けが必要だったとの事。その事を踏まえてみると「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」はコメディータッチに味付けしたという事になるだろう。

「清/順/映/画」を読む限り、少なくとも日活と専属契約していた当時の清順は日活から指示されたプログラムピクチャーを撮る、職業監督という意識を持っていたようだ。そして職業監督である清順は観客を喜ばせる事を主眼にしていて、清順の考える観客を喜ばせる方法はマンネリズムではなく、奇想天外な事や新しい事を提供する事。言わば、観客の期待の先に行く事、あるいは、ある意味、観客の期待を裏切る事だから、根本的な部分が共通しているにもかかわらず、路線は継承せず、「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」とは大きく違うシリアスタッチな味付けをしたのではないだろうか。

そして本作には、清順美学の味付けも施されている。清順美学とは今更説明不要だが、清順の独特の感性を用いたアバンギャルドな作風の事だ。その清順美学が開花したと作品だと本作は一般的に評価されている。確かに、本作には斬新なアイデア、一風変わった演出が目に付く。

ただ、開花というと、いかにも、それまでしてきた事が結実したという風に捉えがちだが、そうではなく、開花する機会を得た作品だとすべきではないかと思う。前述したとおり、「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」の反動からシリアス路線に舵取りをし、そのシリアス路線に清順美学が綺麗に咲き誇る余地が上手い具合に存在したというのが、実のところではないだろうか。

そういった事なので、あまりにも個性が強過ぎて、清順美学を敬遠しがちな人にも本作は問題ないと言える。本作の清順美学はスパイス程度であり、あくまでもメインはシリアスなハードボイルドなのだ。

作風の違いに伴い、主演の宍戸錠も「探偵事務所23 くたばれ悪党ども」とは異なる演技を披露している。短く髪を刈った宍戸にニヒルな余裕はなく、常に切迫感を漂わせており、緊張感が漲る目が印象的だ。ちなみに宍戸自身、本作をお気に入りの1作に挙げているとの事。

脇を固める俳優達も非常に良い。小林昭二はウルトラマンや仮面ライダーで頼れる人物を演じたことで有名だが、本作では、まったく違う顔をしているので必見。川地民夫は、もし、石原裕次郎のようなスターになりたかったとしたら、本作のような役は不本意だったであろう。しかし、俳優としては演じがいのある役である筈であり、川地は特異な存在感を発揮し、個性を輝かせている。金子信雄に関しては、出ているだけで意味深になるから凄い。そして、渡辺美佐子の演技から目を離してはならない。

日活のアクション作品はストーリーがシンプルだとの清順の言葉を前述したが、本作はその限りではない。ストーリーにはハードボイルド探偵小説の祖、ダシール・ハメットの「血の収穫(赤い収穫)」の影響が大いに感じられ、そこに日本的と言うべきか、義理人情が加わり、更には、ミステリーは本家を凌ぐと言って良い程なので、ストーリー展開を追うだけでも見応えは十分感じられる。


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