自分勝手な映画批評
007/トゥモロー・ネバー・ダイ 007/トゥモロー・ネバー・ダイ
1997 イギリス/アメリカ 120分
監督/ロジャー・スポティスウッド
出演/ピアース・ブロスナン ジョナサン・プライス ミシェール・ヨー
ロシアの国境にテロリストの武器取引所があり、各国の兵器と世界中の名立たるテロリストたちが集結していた。その様子をイギリス情報部と共に監視していたイギリス軍は、そこを一掃しようとミサイルを発射した。しかし発射後に、その場所に旧ソ連製核魚雷があるのを発見する。すぐに発射したミサイルを爆破する攻撃中止命令を出すのだが、すでにミサイルは爆破操作の圏外に達していた。

死なせないと言っただろ?

イギリス情報部MI6の諜報員ジェームズ・ボンドの活躍を描いたスパイアクション作品。 映画007シリーズの第18作目。

前作「ゴールデンアイ」からボンド役をピアース・ブロスナン、更にはボンドの上司M役をジュディ・デンチが務めるようになり、007はニューシリーズに突入した。つまり、前々作「消されたライセンス」と前作「ゴールデンアイ」との間には大きな変化があったのである。

だが、その期間での変化は007の世界だけに生じた訳ではない。現実の世界では、もっと大きな変化が生じている。それは、東西冷戦の集結である。

ただ、東西冷戦の集結は007シリーズと無関係ではない。007シリーズは、一定の配慮はあったものの、東西冷戦がベースにある事が大前提として存続してきた。従って東西冷戦の集結は、不謹慎な言い方になるが、007の存在意義を危うくする、007廃業の危機なのである。

しかし、007シリーズは続いた。新たな敵、脅威の存在を確認し、それと戦う道を選んだのである。実際には、本作のストーリーと同じような構図の作品は、それまでの007シリーズにもある。だが、時期的にタイムリーであり、それ故に新しい時代に踏み込んだ印象が強い作品になっていると言えるだろう。

南シナ海を航海中のイギリス艦デヴォンシャーの上空を中国の戦闘機ミグが2機通過し、デヴォンシャーに警告を発した。ミグの言い分によると、デヴォンシャーは中国の領海を侵犯しているとの事。しかし、デヴォンシャーの座標確認では中国の領海を侵犯してはいなかった。その海域に1隻のステルス艦が現れ、デヴォンシャーに向けて魚雷を発射、デヴォンシャーを沈没させた。そしてステルス艦はミグにもミサイルを発射し、1機を撃墜した。更にステルス艦は、脱出して海上にいるデヴォンシャーの乗組員を撃ち殺し、その上デヴォンシャーに搭載されていた巡行ミサイルを奪って行った。実はデヴォンシャーは中国の領海を侵犯していたのだが、GPSの誤作動により国際海域にいると誤認していたのだった。誤作動は意図的な電波によって生じたもの。その電波を発し、ステルス艦を使ってデヴォンシャーとミグが互いに攻撃したように錯覚させたのは、巨大マスメディアグループを率いるメディア王エリオット・カーヴァー。カーヴァーは「悪いニュースほど売れるニュースはない」と考えており、ニュースのネタを自らの手で工作したのだった。しかし、そんな事など知らないイギリス軍は、国際海域で中国から不法な攻撃を受けたと思っており、艦隊を出動させて中国に報復措置を行なおうとしていた。だが、イギリス情報部のMは、艦隊が出動したら第三次大戦にもなりかねないと憂慮し、また、事件と同時刻に不審な電波をキャッチしていた事から徹底調査するべきだと主張するのだった。その時、カーヴァーグループの新聞トゥモロー紙が事件をスクープした事実が明らかになる。イギリスは事件の発表をしていない。しかし、事件が公になってしまった以上、艦隊の出動をせざるを得ない。艦隊の出動準備は48時間。つまりMが主張した調査は48時間以内で完了しなければならない。カーヴァーに疑いを持ったMは、夜にハンブルグで開かれるカーヴァーのパーティーにジェームズ・ボンドを潜入させるのだった。

007シリーズの中では社会派色の強い作品だと思う。そう感じるのは、裏社会の組織でなく(裏の顔はあるものの)表社会に存在し、尚且つ一般的に馴染み深い企業体であるマスメディアグループを敵にしているからである。その事で現実味のある社会性を俄然帯びる事となる。加えて、マスメディアの横暴にフォーカスし、つまるところマスメディアの在り方について提起しているところも、その傾向を強めていると思う。

そしてマスメディアという身近な存在を取り上げる事で、もうひとつの現実的な恐怖が露呈されている思う。それは下劣な信念を持った者が、優れた手段と実行力を用いて伸し上がる事の恐さだ。

何も、成功者を妬むつもりはない。成功する為には優れた手段と実行力が必要なのも理解している。しかし、いくら手段、実行力が優れているからといって、その目論見や牽引する人の人間性が優れている訳ではないだろう。

他を説き伏せる能力を持っている人は頼もしく、魅力的に映る事だろう。だが、その能力とは、あくまでも技術。肝心なのは裏側にある、その人の本質である筈だ。そこを見極めなければ痛い目に合う事だろう。口八丁手八丁なだけの恐ろしさを本作は物語っていると思う。

その他にも社会派と感じる事柄は描かれている。ただ、本作の社会派色は随分と誇張され、大袈裟に描かれている。なので一般的な社会派作品のレベルには達しているとは言えないのかも知れない。しかし、その辺りがエンターテインメントに特化した007シリーズらしさだろう。

もちろん、アクション面でも007シリーズらしさは健在である。そこで存在感を示すのが、前作「ゴールデンアイ」からタイアップとなったBMWである。

本作のボンドカーは、4ドアセダンのBMW750iL。これまでは、2ドアのスポーツカータイプをボンドカーとしてきたので、本作の車のチョイスは異例である。4ドアセダンと言えば、それなりの年齢に達した人が落ち着いてドライブするイメージがあるので、派手なアクションには不向きのように感じる。ただ元来ボンドは、それなりの年齢に達した人物である。そう考えると相応しい車種だと言えるだろう。

また、高級サルーンの750iLには当てはならないかも知れないが、昨今は4ドアセダンにもスポーティーなモデルが多く存在しているので、中高年向けという4ドアセダンの昔ながらのイメージは、かなり払拭されていると思う。もっとも、その見解は、公開時期を考えれば先取りし過ぎた感は否めない。だが、今となっては4ドアセダンのボンドカーに、それ程違和感は覚えないのではないかと思う。

そして何より、ボンドカーに秘密兵器が満載されていて、尚且つ、実力を発揮しているのが嬉しい。ちょっとユニークな使われ方はしているものの、前作「ゴールデンアイ」でのボンドカーが劇中で全く活躍していなかった事を考えると、本作での大活躍は面目躍如といったところだろう。

ただ、私がBMWの存在感を主張したいのは750iLではなくR1200C、つまりオートバイのアクションシーンである。

BMWはカーメーカーであると同時に、オートバイメーカーでもある。私はBMWのタイアップの最大の功績は本作でのオートバイのアクションシーンであると強く感じている。BMWがタイアップしていなければ、本作の大きな見どころであり、007シリーズの中でも印象深い、まるでジャッキー・チェンの香港映画さながらの名アクションシーンは存在していなかったと思う。

もちろん、作品の華となるボンドガールも見どころである。戦うボンドガール、ミシェール・ヨーがカッコ良い。


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