自分勝手な映画批評
地下室のメロディー 地下室のメロディー
1963 フランス 118分
監督/アンリ・ヴェルヌイユ
出演/ジャン・ギャバン アラン・ドロン モーリス・ビロー
パリ北駅から郊外方面に向かう列車の乗ったシャルル(ジャン・ギャバン)。列車内でシャルルは、他の乗客が大声で話す世間話に耳を傾けていた。

札束を寝かせておく手はないぜ

強盗団の華麗な計画の顛末を描いた作品。

本作の大きな見どころはジャン・ギャバン、アラン・ドロンというフランスの新旧大スターの初共演であるだろう。

実は、この共演には裏話がある。当時、すでにドロンは「太陽がいっぱい 」「若者のすべて」等で俳優としての確実なキャリアを築いており、海外でも人気があったのだが、こと母国フランス国内の人気では、同世代のジャン=ポール・ベルモンドに水をあけられていた。

そのベルモンドは、本作公開の前年「冬の猿」という作品でギャバンと共演し好評を得ていた。ギャバンが、また若手俳優とタッグを組む作品(つまり本作)に出演すると聞き付けたドロン側が、「冬の猿」の実績を踏まえて、口悪く言えば二匹目のドジョウ的なものを狙って、本作へのドロンの出演を猛プッシュしたというのが共演の経緯らしい。つまり本作は、少なからずドロン(あるいはドロン側)の野心が込められた作品であるようだ。

5年の刑期を終えて出所したシャルルは、自宅のある郊外の土地へと戻った。その土地にシャルルが自宅を購入したのは緑が多い静かな場所だったから。しかし、シャルルが刑務所にいる間に風景は一変。ビルが立ち並ぶ街へと変貌していた。だが、変わらぬものもある。シャルルの妻はシャルルの帰りをずっと待っていたのだった。シャルルを温かく迎え入れる妻は、今度こそ真っ当な生活をするように望むのだが、シャルルはあくせく働くのはまっぴらご免であり、懲りずに手っ取り早く大金を手にしようとしていた。出所の翌日、シャルルは仲間のマリオを訪ねる。そこでマリオはシャルルに強盗計画を提案する。但しマリオは提案はするものの、自分が行なっている堅気な商売が繁盛している事、また体調も思わしくないので、計画には参加しないとシャルルに告げるのだった。計画はシャルル1人では実行出来ない。ただ、シャルルには当てがあった。刑務所で一緒だった若者フランシスの事を思い出したのだ。フランシスは出所後も職に就かずに金を欲していた。シャルルはフランシスを誘い、更にはフランシスの義兄ルイを巻き込み、強盗計画を実行に移すのだった。

冒頭から流れる本作のテーマ曲に聞き覚えがあると感じた。それは「黄金の七人」のテーマ曲である。実際には違う楽曲であり、聞き比べれば全く違うと分かるのだが、何気なく一聴しただけでは同じではないかと勘違いしそうなほどにムードが似通っている。そうなると、どちらが真似をしたのか知りたくなるものだ。本作の公開は1963年。「黄金の七人」は1965年。という事は、「黄金の七人」が本作のテーマ曲を模倣したと推測出来る。

もっとも、この私の見解は愚の骨頂、タチの悪い言い掛かりもいいところである。「黄金の七人」のテーマ曲も歴としたオリジナルである筈だ。ただ、私がこういった愚かな見解をしたくなるのには理由がある。それはテーマ曲のみならず、本作が数あるスマートな犯罪映画の手本になるような作品だからである。

「黄金の七人」や、それ以外の犯罪映画が本作を手本にしているのか私には分からない。だが、本作には手本になるのに十分な資質が備わっていると言えるだろう。

本作は、ギャバン演じるシャルルが出所し、様変わりした世間に戸惑うシークエンスから始まる。言わば、シャルルが浦島太郎状態になっているシークエンスである。正直、このシークエンスは端折ってもかまわないと思うのだが、それなりに時間を割いて描かれている。ただ、そうする事でシャルルが真っ当に生きられない人間、言い換えれば、真っ当に生きない信念を持った人間である事が主張されている。

本来なら当然、シャルルの信念は背徳の極みであり、とてもじゃないが容認は出来ない。だが、物語としては1本芯が通る事となる。つまり、冒頭で物語の明確な指標を示しているのである。なので物語は、ブレる事なく強盗計画に邁進して行く。

但し、このシークエンスは、それだけの意味ではない。シャルルが世間に背いた浦島太郎であるという事は、一方で正義が存在している事でもある。そうする事で現実的な観念との融合を図っていると言えるだろう。

さて、メインとなる強盗計画の推移だが、シャルルが描いた計画は実に周到である。この緻密な計画性こそが本作の命であるだろう。但し、着手時点で計画の全貌は、おおよその説明はあるものの必ずしも明らかではなく、計画の実行と共に実感する事となる。なので常にスリルが付きまとう。この観る人の心情の煽る演出は非常に上手い。

計画を主に実行するのはドロンが演じるフランシス、つまり計画実行のシークエンスでの主役はドロンである。持ち前のハンサムな容姿を武器にした、キザなドロンの所作は惚れ惚れするほどカッコ良い。ドロンが本作に出演する経緯は前述したが、本作での輝きを見れば、その目論見は成功したと言えるだろう。

そしてラストシーンが秀逸である。このラストシーンがあるからこそ、本作がスマートな印象になるのだと思う。加えて、モノクロの映像も効力を発揮していると思う。この粋なドラマは、モノクロであるが故に成立していると強く感じる。


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